さくらは、兵庫県の芦屋のそばの住宅地で生まれ育った。父は、神戸にある大きな銀行の頭取まで務めた人で、家はまずまず裕福だった。家の大きな庭には、楡の木が植わっていて、その根元で、子供のころの彼女は家で飼っていたセントバーナードとよく遊んだ。犬の名前は、“メープル“ といった。父は、若いころ、カナダの西方、ブリティッシュコロンビア州、バンクーバーのバーナビーにあるサイモン・フレイザー大学に数年、留学していた時期があり、この街の治安と気候の良さをとても気に入っていた。バンクーバーには、よく知られた桜の名所がいくつかあり、それは日本から寄贈されたものがもとになっていた。ソメイヨシノばかりでなく、アケボノやベニシダレ、また、花と葉が同時に出るシロタエなど、現在では、春には、50を超える品種の桜が50000本を超えて、咲き乱れる街となっている。父は、そのころから、娘ができたら「さくら」という名前にしようと内々に考えていたらしい。さくらは5歳の誕生日に、父に「どうしてあたしは“さくら”なの?」と聞いてみた。すると、父は満足そうに「うん」とうなずいてから、このような話をしてくれたのだ。そのとき、カナダと日本の友好関係に敬意を表して、さくらが3歳の時、友人宅からもらってきた犬に「メープル」と名付けたことも教えてくれた。さくらとメープルは、飼い主の娘とペットというよりは、もう、姉妹のように仲良く成長していった。

 6歳の頃のさくらの毎週の日曜日の楽しみは、夕方に一緒に三人でする散歩だった。海の見渡せる高台の通りを父とメープル、そして、自分で構成された親密なグループで毎回、何かそのときの興味あることを話したり、手足をバタバタさせたり、走って追いかけっこしたりしながらする散歩はすごく幸せだった。この頃のさくらは楽しいときはよく笑うし、悲しいことがあれば大げさに泣くし、母親に対してさえ、理不尽な仕打ちをされれば大声で怒ったりした。そして、彼女の周りの世界は、このまま楽しく永遠に回り続けていくんだと信じて疑う必要など全くなかった。

 母は、父の勤める銀行の取引先の神戸にある大きな貿易商のお嬢さんだった。銀行員として、頭角を現し始めていた父とお見合いして結婚したらしい。母は、おとなしい人だったが、いろいろなことを器用に、きちんとできる人だった。言葉も英語とフランス語以外に、北京官話や福建語、広東語を流暢に話した。それに、海南島の言葉も理解できたらしい。習い事も好きで、お花やお茶の免状も持っているらしいが、さくらにはその腕前を披露してくれたことはなかった。神戸というのは、華僑の街でもあり、昔は、そういったことを習おうと思えば、華僑の名士のつてを頼れば、口コミでいくらでも教えてくれる身元も確かな人が相当数いたらしい。華僑は学問に熱心な家が多く、昭和の初年まで、科挙への準備をさせていた家まであるといわれてもいた。清朝自体は、日本の明治の末年には滅んでいるにも関わらずだ。要するに何があるかわからず、もし、科挙が復活する事態になればチャンスが倍増するし、そうでなくても、母国から離れて暮らす身には学問があるに越したことはない、との判断であったらしい。

 さくらは神戸の女学院大学を卒業した後、トア・ロードにある、珍しい植物などの輸入も手掛けていた規模は小さいし目立たないが、しっかりとした貿易商(輪傳堂という名であることは述べた)のオフィスで事務員として働くことになった。父と母の口利きもあって、とてもいい条件で働けていた。ルーティンな毎日であったが、毎日、退屈などしなかった。やるべきこまごまとした仕事が煩瑣であればあるほど、さくらはそれに集中した。そのことである種の不在を埋めようとしているかのようだった。

「ハワイは、南東から北西に島が並んでいるだろ、これは、火山の噴火のあった年代と対応しているんだ。太平洋プレートが南東から北西に向かって動いているから、島ができた後、少しづつ、左上に動いていく。ミッドウエー諸島も、ものすごく古い時代にハワイ周辺であった噴火でできた島の成れの果てなんだよ。太平洋の地図を眺めると、なるほどと思うと思うよ。」

と彼が運転しながら、ハワイ諸島の成り立ちを話してくれていた。

「ここには、銀剣草って草があってね。これが面白いんだ!島が孤立しつつ、動いていくだろ、で、島自体の環境も島によってどんどん変わる。だから、閉じ込められた草は、その島、その島で独自に進化する。したがって、島ごとに元は同じ祖先から進化したとは思えないような様々な形質をもった草たちが生育しているんだ。適応放散っていうんだよ。現在では、もう、けっこう調べられているんだよ。」

さくらは、普段なら、彼のこのような薀蓄話が嫌いではなく、うまく合い槌なんかも打ったりして、彼を乗せながら、嬉しそうに聞いていたものだった。そもそも、生物のうちでも植物が好きであり、性格も温厚で、思いやりもある。でも、しっかりとした知識を基にわかりやすく植物の不思議な生態や生理を説明してくれる彼に次第にほのかな好意を持ち始めていたあるとき、元町でユウジにばったり会って、

「北野においしい紅茶の店があるんだけど、今から一緒にどうかな?」

と誘われて、お付き合いが始まったのだった。しかし、今回は少し、様子が違っていた。窓の外を流れていく海の景色を見ながら、なんとなく魂が抜けたようになっていた。

「メープルはどうしているかしら?」

 このとき、さくらは、彼女の7歳の誕生日の直前にいなくなったセントバーナードのことを思い出していた。いつも彼女は、父とメープルと三人で、海の見渡せる高台の通りの決まったルートを散歩していたものだった。そして、父はいつも「犬に行き先を決めさせてはいけないんだ。あくまでこちらが行き先を決める。犬に従わせる。犬は群れで暮らす動物だから、自分の群れの中での地位が我々より上だと思うと、言うことを聞かなくなるぞ」とさくらに教えてくれていた。さくらは、この時まだ6歳で、力ではメープルにはかなわなかったが、犬はさくらのいうことにも一切、逆らわなかった。賢い犬だった。

 犬がいなくなった日のこと自体はよく覚えていた。その日は、父の帰りがどうしても遅くなるから、というので、さくらは一人でメープルをつれて散歩にでたのだ。母が心配して、遅くなると危ないというので、いつもよりもかなり早い時間に家を出た。初夏の午後の海の見渡せる高台の通りは快晴で、晴れ渡った青空が目に痛かった。左側に海を見ながら、さくらはメープルを連れて、てくてくと海の見渡せる高台の通りを歩いた。途中、知り合いのおばさんとすれ違い、

「あら、さくらちゃん、偉いわねー!ひとりでお散歩?」

と声をかけてくれた。さくらは、なんとなく少し大人になった気がして嬉しくなり、

「うん!」

と元気よく答えた。ただ、この後の記憶がはっきりしなかった。次の記憶は、自分の家のベッドで寝ていて、母がメープルは逃げちゃったのよ、というなんだか不思議な説明を聞かせてくれただけだった。実際に、犬はもう、家のどこにもいなかった。