『このお店は前から、日中もこの近くで仕事があるときとか家で煮詰まった時なんかにも、気分転換に利用させてもらってるんだ』
『そう…なんですね』
『言っておくけど、エリとこうなる前には、君にも何度か接客してもらったこともあるんだぞ』
『え…』
『ま、そっちは覚えてるわけないか』

当然お客様側と違って、こちら(店員)は毎日たくさんの人を対応しているので、特に慌ただしい日中など、一人一人の顔など覚えている余裕はない。

その事実よりも、小野崎さんがさりげなく言った、”こうなる前”の一言に反応してしまう。

『ん、コレ渚さんが淹れたのだね』

持って行ったコーヒーを一口飲んで、満足そうに微笑む。

『わかるんですか?』
『うん、まぁこんだけ通えばね、さすがに渚さんの淹れたコーヒーは格別だな。あ、もちろん、毎朝エリが淹れてくれるコーヒーも、かなり美味しいけどね』

黒縁眼鏡の奥にある柔らかな眼差しで見つめられ、またドキリとしてしまう。

後半のセリフだけを聞くと、誤解を招いてしまいそうなので、慌てて周りが気になり、平常心を保ちつつ、『では、ごゆっくりどうぞ』と言うと、そそくさと席を離れた。

カウンターの内側に戻ると、渚ちゃんがニヤニヤ笑ってる。