『や…離して』

軽く抵抗を試みるも、全く力が入らない。

『エリ…頼む』

頬が触れるほど近くで、小野崎さんの苦しそうな声が聞こえた。

『そんな顔で、”俺を好きじゃない”なんて、言わないでくれ』

甘く響いたその声音に、込み上げるものを必死に堪えながら、空いていた右手で、小野崎さんの黒い制服の一部を、ぎゅっと握りしめる。

かすかにたばこの匂いがした。

確か、毎朝喫煙可能なテラス席でタバコを吸っていないところをみると、おそらくバーの店内でついたものだろう。

その彼の胸元に寄せた耳には、自分のものと変わらず早音を打つ、心臓の鼓動。

…なんだろう?

この、泣きそうなほどに湧き上がる、安堵感。

互いに何も言わなくても、気持ちが伝わることもあるのだと、初めて知った。


どれくらい経ったのか?

時間にしたら、数分…いや数秒のことかもしれない。

不意に、小野崎さんが抱きしめていた手を緩めると、互いの身体に少しの隙間ができた。