響は5年前のハロウィンの日、母親を何者かに殺された3日後に初めて新宿ゴールデン街を訪れた。



新宿ゴールデン街とはG1通り、G2通り、花園1番街、花園3番街、花園5番街、花園8番街の6つの通りからなる長方形の飲み屋街である。
殆どの家屋は長屋のようになっていて2階建て。個性溢れる小さなバーが、実に280軒立ち並ぶ。



響はマザコンという訳ではなかったが、母のことが好きだった。新宿に引っ越してからもよく電話をして近況報告をする。母と話すと癒されるのだ。自分のことを誰よりもよく分かってくれている。唯一無二の存在。

そんな母が殺されたのだ。留守にしていた自宅に入った空巣と帰ってきた母は鉢合わせしてしまった。そして刃物で数ヶ所刺された。死因は出血多量。
犯人は未だ捕まっていない。

やり場のない怒りと深い悲しみ、喪失感。響はそれらに支配されていた。
そんな気持ちとは真逆で世間はハロウィンハロウィンと言ってうかれていた。

だが少しでも気分転換になればと思い、大阪での葬儀を終え、新宿に帰って来た響は、仮装してみることにした。ふと「火葬の後の仮装か」と不謹慎でつまらないことが頭をよぎったが忘れることにした。
仮装のテーマは、ない。
取り敢えず長い髪の毛を三つ編みにしてみる。そして、ドンキホーテで買ってきた付け髭を装着。さらに目の上下にかつて自分がファンだったロックバンドを真似てヒビ割れメイクを施す。

これで精一杯だな。しかしこれは仮装ではなく変装だ。響はそう思った。

そこにいつも通りつばの大きい帽子をかぶり新宿ゴールデン街に繰り出した。
とにかく酒が飲みたかった。全てを忘れたかった。
バカな話で盛り上がりたかった。バカな話に夢中になっている瞬間と泥酔している時だけは、悲しみを忘れることができる。

バー「ロンソン」に入るとハイテンションのマスターが快く迎え入れてくれた。香とも知り合い、バカな話で盛り上がった。
そんな中、ロンソンのマスター吉田が思わぬことを言い出した。

「ある筋から聞いたんだけどさ、この前大阪でお婆さんが刺し殺された事件の犯人、この辺に今は潜伏してるらしいよ」