君がいたから

「ん…ん」
重いまぶたをやけに外側を見たがっている目玉が押しあける。
「翔太?」
母さんの鼻声が聞こえた。目の前には真っ白な天井。
「母さん。」
「翔太。起きたか。」
ガタイのいい男が入ってきた。誰だ?
「またなんです。また、振り出しに戻ってしまって…」
「そうか…」
またってなんだ?振り出しに戻る?
「ここではなんですからあちらで話しましょう。さぁ。」
男が母さんの肩を抱いて病室から出て行く。
「まだこれでも施設に入れたままにするんですか?」
「…私にはあの子を背負って生きていける自信がありません。」
なんの話だ?施設?
あぁ。今わかった。俺は今以前のことを何も覚えていない…
ただ、わかることが2つある。あの男は父さんじゃない。そして、母さんだけは母さんだと確信できる。
ガラッ
自分に記憶がないことを確信したのと同時に病室のドアが開く。入ってきたのはあの男1人。
「具合はどうだ?」
「…」
良いわけないだろ。何を聞いてるんだ。
「お前は事故にあった。」
その男はベッドの横のちっさい椅子に座って淡々と語る。
「…自分で車の前に飛び出たんだ。」
自分で?自殺?前の俺には自殺したい何かがあったのか?
「助かったのは奇跡に近いらしい。ただ、お前の頭の中にはそれ以前の記憶がないそうだ。」
わかってるよそんなこと。自分の名前だって思い出せないんだ。
「当然、俺のことは覚えてないだろうな?」
「あぁ。」
「俺は高藤大翔(たかとうひろと)だ。かをり学園ってとこの園長をしてる。」
なんだそれ?
「まぁ、簡単に言えば両親がいない子どもたちの施設だな。」
あぁ。そう言うことか。母さんは俺を捨てて俺はそのかおり学園ってとこに入れられるんだな。
そこまで察してさっきまで母さんに会えてホッとしていた自分が憎らしくなる。
「俺は遠回りな物言いは嫌いだからはっきり言う。お前は俺らと一緒に暮らすんだ。」
あぁ。あまりにも予想通りすぎた。
「ああそう。」
「お前の名前は島津賢介(しまづけんすけ)だ。」
自分の名前なんて失ってしまえばどうでも良い。言うならばレッテル。服についてる値札にすぎない。切ってしまえばあとはゴミ。
もう1つわかったことがある。俺に関する記憶はないが一般常識的な記憶は鮮明にある。つまり、俺は新しい記憶をここから作り上げれば以前とは全く関係のない人間になれるってわけだ。
「まぁ、外傷がひどいから退院がいつかわからねぇが、これでも見て思い出せ。」
アルバム?
ぶっといアルバムの中には3分の1程しか写真が入ってなかった。それもあるときから数年分だ。
「なぁ。情報が少ない。」
「あ?あぁ。そりゃそうだ。お前の過去はそのアルバムほどだ。今のお前は17歳で男、名前はさっき言ったし、顔は鏡を見ればわかるだろ。」
そんな薄っぺらい男なのか俺は…
「あ、そだ。言い忘れてた。お前には家族はいないが恋人はいるぞ。」
は!?
「まぁ、実際はあっちの片思いだったらしいけどな。施設内の子だよ。ずっとくっついて離れねぇんだ。お前だけに懐いてた。」
なんだ。そう言うことか。
「それと、事故のことは俺とお前の母ちゃんしか知らない。施設に来たら普通にしろよ。じゃ、また様子見に来てやるよ。」
「お、おい!待て!!」
「なんだよ。まだあんのか?」
あぁ、俺には聞く権利がある。いや、聞く義務がある。
「母ちゃんとは何で暮らしてねぇんだ?不思議なんだよ。母ちゃんの事だけは母ちゃんだとわかる。」
「・・・まぁ、そのことは退院してからでいいんじゃねぇか?」
明らかに高藤の表情が曇った。
「今聞きたいって言ったら?」
「もう寝ろ。」
それだけ言って乱雑にドアを閉めて出て行ってしまった。
なんかあるんだ。俺は薄っぺらいかも知んねぇけど、自殺しようと思うくらい悩む出来事があったはずなんだ。さっきまでは違う自分になれることにわくわくしてたのに、今になって謎多き島津健介を知りたい。それに、あの「また」の意味も知りたい。