そんななか、会津藩の公用方の小野が目をつけていた近江屋で、坂本龍馬が中岡慎太郎とともに刺客に斬殺されるという事件が起きている。

問題は、犯人であった。

原田左之助の容疑がにわかに浮上したのである。

「おれは坂本なんて奴は知らんぞ」

と原田は言ったが、現場に落ちていた鞘が原田のそれであったことと、原田の故郷の松山弁を聞いたという証言があって、原田は取り調べを受けてから帰ってきた。

しかし。

「おれはその日、屯所で仲間と酒を飲んでいた」

と主張し、事実、配下の三浦常三郎と松永権十郎という平隊士と三人で痛飲していた姿を、武具方の芦名鼎が目撃している。

しかし。

確かに原田以外に伊予松山の出の者は新撰組にはいないが、原田は江戸詰めが長かったのもあって、普段はべらんめえな江戸言葉である。

実際に岸島が参考人として聴取を受けた際にも、

「原田どのは江戸言葉ゆえ、伊予松山の訛りは聞いたことがない」

といった旨の供述をしており、当初から誰が被疑者か分からない、迷宮入りの様相になりつつあった。