この相続の決定までに幕府は長州戦で連敗に次ぐ連敗を重ね、次第に戦意は喪失し、公儀の威光も地に落ちつつあった。
「近藤さん、もはや公儀に頼るのは無理があるのではないのか」
と、伊東甲子太郎や加納道之助などが主張をした。
確かにその通りであろう。
仮に現実的は路線をとるならば、幕府の傘下を離れて動くことも不可能ではない。
戦は勝つ方につくのが武家の原則である。
しかし。
「伊東くん、われわれは公儀や会津侯に恩義がある」
恩義あっての新撰組だ、と近藤は言った。
「それは武家のとるべき道ではあるかも知れないが、恩義ある人を裏切ってまで人のとるべき道ではない」
この辺りが、近藤の面目躍如たるところであったかも分からない。