しかし。

岸島が久々に宮津藩邸に行くと、

「いかに勘定方が手薄とはいえ、仮にも新撰組を抱えたとあっては、新政府の聞こえもいかがかと」

と、実につれない返答で断られてしまった。

仕方なしに、何度か面識のあった三百坂の手塚良仙のもとをたずねると、

「うちでは無理だが、仕官が決まるまで居候でもしておけ」

と、手塚は快く引き受けてくれた。

もともと親分肌なところにきて、薩摩や長州に我が物顔で町を闊歩されるのを、江戸っ子の手塚は好意的に見てはいなかった。

それだけに、

「まぁ任せとけ、おれはこれでも葵の羽織をもらった医者だからな」

と言い、薩摩や長州などどこ吹く風といったような顔で往診に出たりしている。

最初は肩身が狭かった岸島だが、そろばんを手伝うと買って出ると、

「おぅ頼まぁ」

と、これまた気安い。

手塚の竹を割ったような気性に、岸島は安堵をおぼえた。