「待ってメーちゃん!」

 あの場から距離が十分にあいた頃、後ろを追いかけてきていたサナが私を呼んだ。その声をきっかけに、私はその場にへたりこんだ。
 かなりの距離を闇雲に走ってしまっていたから、気がつくと教員用の駐車場にいた。幸い、周りには誰もいない。
 そのままの体勢で大きく深呼吸を繰り返してみたけれど、私の心臓は静まる気配がなかった。

「メーちゃん、どうしたの? 苦しい?」

 サナの問いかけに私はただ頷くことしかでこなかった。苦しい。すごくすごく苦しい。さっきの光景を思い出すと、胸がキュッとなって、空気が肺に入っていかないような感じがする。

「サナ、どうしよう……」
「どうしたの?」
「あのね、好きなキャラとかがすごい頑張ってるの見ると、胸がギュッとなって、涙が出そうになって、『ああ、尊い!』ってなるでしょ? ……あれに似た気持ちで、胸いっぱいなの。これ、何?」

 少しずつでも息をしなきゃと思って、へたり込んだまま浅く呼吸を繰り返していると、何とか話せるくらいには回復した。
 私は自分の中に湧き上がってくる感情を何とか伝えなくちゃと言葉を紡いだけれど、自分で言っていて意味がわからなかった。
 それでも、私の言葉を聞いて、サナはまるで小さな子供を見つめるみたいな柔らかな顔をした。

「メーちゃん……それ、恋だよ」
「……恋?」
「そう。恋ってね、尊いんだよ」

 サナは、とっくにそんなこと知っていたという顔で言った。
 それは恋。ジスイズラブ。おーいえー。
 そんなふうに頭の中で茶化してみても、一向に心臓は静まってくれない。それどころか、動悸はひどくなるばかりだ。

「私……北大路のこと、好きってこと?」

 口に出してみて、その意味がわかった途端、私の心臓は一段と跳ね上がって、体温も一気に上昇した。
 顔が熱い。目も熱い。悲しいわけじゃないのに、胸が詰まって涙が溢れてきた。

「どうしたの? メーちゃん、泣かなくても……さっきの人の告白、キンヤくんがOKすると思って泣いてるの?」

 背中をさすってくれるサナの質問に、私は首を横に振った。
 違う。そんなことじゃない。
 さっきの告白に北大路がどう答えるかは気になるけれど、正直言って私は、それ以前の問題を抱えている。
 私はつい今さっき、北大路のことが好きだと知った。気づいたばかりのその気持ちを、自分自身で持て余している。
 でも、さっきの女の子は北大路のことを好きだととっくに気がついて、その気持ちを大事にして、それを北大路へ伝えた。伝えて、関係を進展させようと踏み出したのだ。
 まだスタートすらうまく切れていない私より、うんとうんと先を行っている。
 そのことに気がついて、怖くなったのだ。
 それに、仮にスタートを切ったところでどこに向かって走っていけばいいのかもわからない。
 好きだと気がついたところで、私は何をしたらいいんだろう。何がしたいんだろう。
 二次元で好みのキャラに出会ったときは、そのキャラが出てくる作品にたくさん触れて、グッズを集めて、そのキャラの日常を想像してみたり、それを漫画にしてみたりすればいい。そうすれば、好きでしょうがなくて床をゴロゴロと転がりたい気持ちは収まるし、もっと好きになることができる。
 それに、二次元キャラへの好きという気持ちは、同じ趣味の人と分かち合うことができる。
 でも、北大路への気持ちは、どうすればいいのだろうか。
 好きなキャラのことならいくらでも話して誰かと共有したいけど、北大路を好きという気持ちを誰かと共有したいだなんて思えない。できれば、誰にも知られたくない。

「……サナ、怖いよ……」

 誰かを好きになるのは初めてだから。その初めてのことは、私を何もわからない子供みたいにさせる。
 怖くて、苦しくて、どうしたらいいのかわからなくて、私は立ち方を忘れてしまったみたいに、そこから動けなくなってしまった。
 乙女ゲームや少女漫画で、自分の中の恋心に気がついたヒロインが戸惑う気持ちを、今身をもって知ってしまった。