夕焼けに染まる河原へと続く道。
 気持ちの良い風が吹いて、それがふっと私のスカートと髪を揺らす。
 汗ばんだ肌の上を風が滑っていって心地良い。
 ふと脇へ目をやれば、夕陽を受けて川面がキラキラと輝いていて綺麗だ。
 そして、目の前にはイケメン。
 ああ、何てロマンティックなシチュエーション――この状況でなければ、私はそう思っただろう。
 そう。散々な追いかけっこを繰り広げた挙句、双方息も絶え絶えで汗だくになってさえいなければ。
 でも……と私は思い直す。
 どちらにしたって、私には無縁なのだ。
 そんなロマンティックとも、こうしてイケメンに追いかけ回されるという非日常とも。

「何の用? 北大路」

 覚悟を決めて、私は目の前の彼の名前を呼んだ。
 いくら頭を悩ませたところで、彼に追い回される理由が思い当たらない。どれだけ逃げても追いかけてくるというのなら、なぜ追われているのか、彼が私に何を求めているのかを知ったほうがいいだろうと判断したのだ。
 それに何より、疲れた。
 足にはそれなりに自信があったけれど、自転車まで使って追いかけられたら、もう追いかけっこはやっていられない。

 北大路との追いかけっこは、帰りのホームルームを終えた直後から始まった。

「姫川!」

 同じ部活で仲良しのサナと一緒に部室に行こうと教室を出たところで、男の声に呼び止められた。
 誰だろう。学校で私の名前を呼ぶ男なんて、教師くらいしかいない。クラスメイトの男子なんて私のことを歯牙にも掛けないのだから、名前なぞ呼ばれるはずもない。用があったとしてもきっと「おい」としか言われないことはわかっている。
 だから、誰だ? ――そう思って振り返って、私はギョッとした。こちらをロックオンしてズンズンと近づいてくるのは、イケメンなことで有名な、クラスメイトの北大路だったのだから。

「サナ、ごめん! 私、今日は帰る!」
「おい、待て!」

 ただならぬ気配を察知して、私は反射的に駆け出していた。だって、北大路に声をかけられる理由なんてないから。イケメンとオタクである私との間に、接点なんてあるわけがない。クラスメイトであることと人類であること以外に、私と彼に共通点なんてありはしない。
 それなのに向こうは何が目的なのか、どこまでもどこまでも追いかけてきた。

「姫川ー!」

 呼んで欲しくない、私の名前を不必要に大きな声で叫びながら。

 逃げながら、私は考えていた。
 北大路に何かしてしまったのではないか、と。
 そういえば以前、試験の結果が散々だったとき、むしゃくしゃして、ちょうど視界に入った彼で“妄想”を楽しんでしまったということがある。ひとしきり北大路を脳内のいろんなシチュエーションで弄んだあと、はたと我に返って猛省した。もう“生もの”には手を出さない、と。
 私はそれほど腐っているわけではない。仲良くしている友達がそっちの趣味の子が多いから、一緒になってちょっと楽しむくらいだ。それに、生もの――実在の人間を扱ったBL――には手を出さないと決めている。だから、その日はどうかしていたのだ。
 でも、そんなことを彼が知る由もないのだから、やっぱり追いかけられる理由なんてわからない。

 それにしても、イケメンだ。目の前の北大路を見て、改めて思った。
 三次元の男になんて興味ないけれど、こうして対峙すると、その容姿の良さは認めざるを得ない。
 サラサラの髪に、少し垂れ気味の切れ長の目。おまけに二重瞼。鼻筋はスッと通っていて、唇も薄すぎず厚すぎず形が良い。
 身長は百七十五センチくらいあるだろうか。顔が小さいから、ざっと見るだけでも八頭身に近いのがわかる。
 文句なしにイケメンだ。
 でも、私はこいつが好きではない。
 なぜなら――

「おい、姫川! お前に俺の曲を作らせてやる!」

 そう、彼はいわゆる“俺様”なのだ。
 口を開けば飛び出すその俺様発言にドン引きしているのは、きっと私だけじゃないはずだ。

「…………」

 あまりのことに、私は何も言えなかった。絶句。文句なしの絶句。
 この人、何言ってるんだろうというのが率直な感想だ。
 でも、その沈黙を北大路は別の意味で解釈したらしい。

「何だ、姫川。俺のかっこよさに見惚れてるのか?」
「……はぁ?」

 何だこいつ。このまま土手を転がり落ちて、どんぶらこと川を流れて行ってくれないだろうか。そしてどこかの心優しい人に拾われて、その度が過ぎたナルシストゆえにナル太郎と名付けられればいい。
 カッコイイのは認めよう。
 でも、それを自分で言っちゃうのはどうなんだろう。
 俺様にもほどがある。

「俺の話を聞いてるのか? 姫川」
「聞いてるけど? 聞いた上で無視してるのよ、北大路」
「なっ……!」

 女子に無視なんてされたことないだろう北大路は、私の発言におののいた。震えていた。頭を抱えていた。
 どうだ、ショックだろう。そのまま傷ついて尻尾巻いて帰れ――そう思ったのに、数秒後には体勢を立て直していた。

「ああ、なるほど。俺の言ったことの意味がわからなかったんだな。なら、もう一度言おう。お前に、俺の曲を作らせてやる。……どうだ、嬉しいだろう?」

 一語一句区切って、はっきりと発音するように北大路は言った。それを聞いて、「ああ、この人は馬鹿なんだな」と気がついた。
 北大路はとびきりのプレゼントを差し出し、受け取った相手が包みを開けて喜ぶのを見たくて待っているような、そんな様子だった。
 でもあいにく、嬉しくもなんともない私は、こいつの望む反応なんてしてやれない。私はまずこいつの頼みを聞きたくないし、人にものを頼む態度ではないからそもそも相手にしたくない。

「要件はそれだけ? なら私、帰るね。そして、答えはノーよ。嬉しくも何ともない。……あんたからの申し出を喜びそうな人はたくさんいるんだから、他を当たって」

 これ以上こんな茶番には付き合っていられない。
 私は北大路に背を向けて帰り道へ急ごうとした。
 それなのに――