走行中のバスの中、前方をぼーっと見つめていると、彼は横でわたしの名前を呼んだ。



「…石田」

「何?」



 振り向くと、萩原くんの顔が酷く沈んでいる。その表情から察したところ、きっと良い話ではない。これから彼が何を話そうとしているのか、容易に予測できた。


 少し長い時間を掛けてから、萩原くんは言った。



「実は、最近花咲と別れたんだ。応援してくれていたのに、ごめん」



 ――やっぱり、そうだ。



「あ、あのね…、わたし、別れたの知ってた。昨日花咲さんから、…聞いた」

「…そうなのか?」



 彼は、些か驚いたような顔で何度か瞬きを繰り返した。



「…うん。聞いたよ。萩原くんと花咲さんの過去のこと。花咲さんのことを憶えてなかったことも、別れた日に思い出したことも聞いた。……本当なの?」

「…本当だよ。小学校低学年のときの記憶なんて曖昧だし、ほとんど憶えてないけど、最近になって漸く思い出せたんだ。断片的にではあるけれど」

「…そう…なんだ」

「告白されたときに言われたんだ。『またわたし達、会えたね』って。でもそのときは、全然花咲のことは憶えてなくてさ」


 萩原くんは俯きながら、目を伏せた。萎縮した風に、暗い底に沈んだような顔をしている。


 彼女の辛い気持ちも知っていたから、わたしは彼に何と声を掛けてあげればいいのかわからなかった。



「石田に行った方がいいって言われたときは、たとえ憶えていなくても、ちゃんと向き合うつもりだった。だけどこの先一緒にいたとしても、俺は花咲を笑わせてやれない。思い出せたからって昔みたいには戻れないし、きっと虚しさしか残らない」

「朱菜ちゃんは、…それでも一緒に居たかったんじゃないかな。萩原くんが、たとえどんなに憶えていなくても、ずっと一緒に居たかったんじゃないかな…」