それからしばらく、亨さんからの連絡はなかった。 僕からも連絡はできなくて… 島村先生も、亨さんはまだしばらく日本に残るということだけを僕に伝えたきり、口を閉ざしている。 学校では、音羽の事故は内密にされていて、演奏旅行の準備だと伝えられていた。 当然僕も口止めされた。 ただ音羽を心配しながら、僕は冬期休業前日を迎えてしまった。 それは、音羽が事故にあって5日目。 僕も限界がきていた。 放課後、僕はあの場所へ向かった。