「…ううん。ちょっと眠れないだけ」

「そっか」

ただそれだけ答えて、誘拐犯さんはまた私の髪を撫でる。
けれどまだ少し寝ぼけている所為なのか、私を捉えているはずの瞳は何か別のものをみているようだった。

ああ、まただ。この人はいつだって、私を見てない。


「…此処にいるのは、私だよ」


そう告げてもきっと何も変わらない。今まで決して言えなかった言葉を、天鵞絨の夜に溶かして小さく告げる。息が止まったように動きを止めた誘拐犯さんを見ないように硬く目を瞑って、息を潜めた。できるだけ静かに眠りにつきたかった。



「……うん、ごめん」



落ちた酷く小さな声。

その言葉の意味も、何を見ているのかも、名前でさえも、私は知らない。


何も何も、分からない。