ひだまりのようなその形に幸福論と名前をつけたなら



家に帰ると、大家さんはもう帰ったのか、という目で私をちらりと見た。当たり前だ、家賃も払わずに貸してもらっているのだから。

部屋は電気をつけてもやっぱり薄暗かった。いや、もしかするとあの部屋の明るさに目が慣れてしまったのかもしれない。
約2週間、人肌に触れていないフローリングが裸足の足に冷たく、痛い。壁の薄いこの部屋では隣の部屋に声が筒抜けだから大声を出して泣くことはできない。どちらにせよ、私は涙を流さなかった。


夕食を作る気などさらさらなかったので、その日は適当にインスタントのカップ麺を食べて、そのまま布団に入った。


布団にくるまっても誘拐犯さんの匂いはせず、暫く寝付けない。
もう随分と慣れてしまった、少し硬い誘拐犯さんの家のベット。


静かな息遣いが聞こえなくて、呼吸の仕方が分からない。
ついに私は自分一人では呼吸さえも上手くできなくなってしまった。
隣にいて優しく背を撫でてくれる人などもういないのに、一体私はこれからどうやって生きてゆくというのだろう。


眠れない。空が白んで夜が明ける気配がする。


当たり前になってしまっていたあの穏やかな日々が日常ではない。
この暮らしが、私には相応しい。
壊れる恐怖を抱く必要のない、安全で、変わらない日常。



ごろりと寝返りを打って、今度こそは眠ってやると目を閉じた。