マリナはしばらく泣いてから、すっきりしたように顔を上げて笑った。

「…やだ、恥ずかしい。」
「…。」

確かに、いろいろなものが顔面でぐちゃぐちゃになってて、ちょっと気持ち悪いとか思わなくもないが…。

ダナイは殺気を感じて身を震わせた。いつの間にか綺麗に整えられたマリナの顔には笑みが浮かんでいる。目は笑っていないが。





「…なにか?」
「何でもないよ〜あはは。」

ダナイはこの友人には一生頭が上がらないだろうなと思った。戦闘においては能力的に勝っているはずのダナイだが、それでも1度も勝てたことがない。
それは、マリナが戦闘時に発する殺気のせいだ。冷ややかに、まとわりつくように足下から這い上がって来るそれは、形容しがたい恐怖がある。










「手紙を書くことは、許されるかしら。」
そう言ったマリナに目を向けて続きを促す。
「娘は、一人で生きていくことになるわ。本来いるはずの父親も頼ることも出来ず。」

その言葉にダナイは目を伏せた。
マリナの夫でありラティの父親でもあるジンは、ほとんど魔法の塔と呼ばれる魔術師たちの集う場所から滅多に出てこない。
それは、ジンが半分捕虜のようなかたちで魔術師としての仕事に従事しているからだ。
ダナイとしては、その運命を知っていただけに止めたかったのだが、それも予知師としての禁忌を犯してしまう。
マリナはダナイをそのことで責めなかった。だが、予知師のせいでそうなったこともあって、予知師というものを恨んでいることをダナイは知っている。




「手紙くらいならいいだろうね。ただ、あの子に見せる前に師匠のチェックが入る。」
「そう。別にいいわ。」

そう言うとマリナは早速ペンを手に取って書きはじめた。
暫く、ペンの走る音だけが室内に響く。

やがて、顔を上げたマリナが、紙を半分に折ってダナイに差し出した。ダナイはそれを無言で受け取る。






それからは、他愛のないことばかりを話した。
ラティがよくお手伝いをしてくれるとか
お師匠様をいつか自分の手で天に送りたいだとか
時折二人共黒い笑みを浮かべながらも、穏やかに、和やかに会話していく。


「…悪かったわ。」
ダナイはきょとんとして尋ねた。
「何がだい?」
「ほ、ほら…予知師としての貴方と初めて会ったときに、こんな若輩者に〜とか言ったことよ。」

ああ、とダナイは笑みを浮かべた。
「それなら別に気にしていないよ。本当にあの時は、若輩者だったからね。師匠にやっと認めてもらえたところだったから。」
そう言ってもマリナはバツが悪そうに俯く。マリナはそういうところは少し子供っぽい。
「…あの時は本当に気が立ってたの。ジンのこともあったけど、必死だったから。」
「そんなのわかってる。大丈夫だよ。」

ジンが捕らえられ、魔法の塔に連れていかれたのは、マリナが身篭ったとわかってすぐのことだった。ダナイは、流産しなかっただけましだと思った。

「予知師って皆同じに見えるんだもの。ベールをしてて顔が分からないし。」
「そういう決まりなんだ。仕方が無い。」

予知師は、顔を見られてはならない。良くも悪くも影響力があるため、狙われやすいからだ。命を奪われるならまだしも、万が一、予知師の力を利用されてもしたら大変な事になる。
それ故、予知師はベールとフード付きマントを必ず着けるように、決して1人では行動してはならないようにと言われている。

「それにしても不思議よね。私は…その。死ぬのでしょう?」
「…そうなんだろうね。」
「なのに、どうしてあなたはここにように言われたのかしら。」

知るか。反射的にダナイはそう思った。師匠の考えることが分かったらこんなに苦労しない。

「あの性格の悪いお師匠様の言うことだ。死に様を見ておけ、とでも言うのだろう。」
「…。」
マリナは顔を顰めた。もしそんな理由だとしたら、性格が悪いと言わざるを得ない。
お産の前も、優しく声をかけてくれた、あの老練の予知師に限って、とは思うのだけれど。

「しかし、もしかしたら。犯人の顔を見ておけとでも言うのかもしれない。」

師匠の嫌がらせとしては、これは少々タチが悪い。考えられる可能性としては、こちらの方が高い。
「…あの子に、関係があるのかしら。」
「さあ。僕には分からない。なぜなら」
少し間を置いて、ダナイは不敵に笑った。
「僕はまだまだ修行中の身なものでね。」

マリナは目を見開いて、それから楽しそうに笑った。









「…時間だ。」
ピリッと空気が引き締まったのを感じる。
「僕は消えさせてもらう。…命運を。」

その言葉を最後に、ダナイは本当に消えた。まあ、この場にはいるのだろうけれど。
「…ねぇ、ダナイ。確かに、私は死ぬのでしょう。でも」

深呼吸をして、マリナは結界を張った。
強力な結界が重ねられていく。
それから、部屋の奥に隠していた、もう使うことがないと思っていた、美しい剣を取り出した。
『…マリナ。』
剣から発せられる音には反応せず、マリナは目を瞑ってダナイに言う。
「私は、剣士だったのよ。…簡単には殺させない。」

「…さあ、かかってきなさい。」
そうマリナが言い終えると同時に、幾重にも張った結界が揺らぎ始める。
マリナは、剣を構えた。