グラウンド。
今日は会議で部活がないみたいだから、いつも泥だらけになりながらボールを追う野球部や、華麗なシュートを決めるサッカー部とかはいなくて、晴れてるけど風の音が聞こえるくらい静か。
「あ、いたいた。」
背伸びして見渡してた楓くんが、不意に指さした。
その先には、少しと奥にあるジャングルジム。
のてっぺんに、ぽつんと座る人影。
あのちょっと曲がった背中とか、ぶらんと足を投げ出す座り方は間違いなく昴だ。
……
「…消えちゃいそう。」
「え?」
歩きだそうとしてた楓くんが、聞き返して近寄ってくる。
「なんて言ったの?」
「あ、いや……なんか昴、このまま消えちゃいそうだなって。」
言われて昴の方を見た楓くんは、少ししたらまた視線を戻して、ははと短く笑った。
「何言ってんの。なんかのドラマ?」
「あ……いや、なんでもない。」
そっか。
昴、楓くんにも言ってないのか。
あたしだけ。?
あたしだけに、言ってくれたの?
じゃあ、あたしだけ悲しい思いをするんだ。
他の人はみんな、昴のこと忘れちゃうのに。
ひどい、ならあたししにも黙ってくれれば、悲しい思いしなくて済むのに。
だけど…
わからないまま、気づかないまま、いつの間にか昴とお別れって…
辛すぎるな。
昴も、わかってくれたのかもしれない。
「やるじゃん、はは。」
「ん?」
また、楓くんが反応する。
なんもないよ、という風に笑いかけて、力強く地面を蹴って思いっきり駆け出した。
「ほら、行こ!」
「え、あ、うん?」
戸惑ったような声がどんどん遠のいていくのが分かったけど、涼しい風の中を体が突き抜ける感覚が気持ちよくて、ひたすら走った。
昴は走ってるから割とうるさいと思う足音にもまだ気づかないみたい。
ジャングルジムまであと100mくらい。
「昴!」
息切れが混じったあたしの声に、やっと昴が顔を上げた。
驚いたようにぴくっと眉をあげて、こっちを見つめてる。
よっこらせっと。
リズミカルにジャングルジムを登って、昴の隣に座る。
わぁ、思ったより高い。
肩で息をしながら、へへ、と笑ってピースサインを作ってみせると、はぁ、と短いため息が帰ってきた。
「なんでわかったんだよ。」
「楓くんに会った。忘れ物したみたいで。」
あら、そーいや楓くんは?
慌てて見渡すと、あたしたちがさっきいた入口付近にまだ人影が。
…楓くんじゃん。腕組みして壁にももたれかかってる。
あーあ、あたしの目線に気づいたのか手振ってるし。
「なにしてんだろ。」
「さぁ、?」
足をぶらぶらさせながら、昴が興味なさげに言う。
ん?
楓くんが、なんかジェスチャーしてる?
えー…ちっちゃくてよくわかんない……
…あ、
ハートだ、。
あのー、よくカップルとかをからかうとき、手でハート作ってその中に2人の姿を入れたりするじゃん?
まさにそれなわけ。
いや、まていまてい!
気遣わなくていいからそこ!
来なさいよ!
恋愛マスター気取ってんじゃないよまったく。
…うわ、ていうかよかった昴違う方見てて。
まぁ、ほっとこ、あの恐怖のレディーファーストハンサムボーイは。
「ねえ、帰んないの?」
風に吹かれて、昴の黒い髪がふわっと揺れる。
その横顔は、なんかすごく綺麗だった。
「まあ、そのうち。」
「いっつも2人で喋ってんの、放課後?」
「なわけねえだろ、いっつもお前と帰ってんだから。」
「あ、そっか。」
そう言うと、呆れたように息をついて、だけどわずかに唇の端を上げた。
「え、じゃあなんで今日は黙ってここ
来たのよ。一言いってくれれば。」
そうほっぺを膨らませるのを昴はちらっと見てから、少し間を置いた。
「悪い。ちょっと1人になりたくて。」
「1人って、楓くんは、?」
「グラウンド行く途中で会ったんだよ。だからまあ、流れでこうなった。」
そーなのか。
「なんで1人になりたかったの?」
まあ、悩みがたくさんあるのは十分知ってるけど。
あたしに相談してくれたっていいじゃんって思っちゃう。
その質問に、昴は最初言いにくそうに目をそらせたけど、結局またあたしと目線を合わせて口を開いた。
「…俺さ、これから消えるから。」
「え?」
「だから、言っただろ。1日の途中で消えちゃうって。今日学校早く終わったからさ、たぶんこんくらいの時間なはず。」
あ、…
そうだった。
忘れてた…んだ。
最初はあんなに違和感あったのに…。
今はもう、当たり前になってるみたい。
昴がいつの間にか消えて、あたしの記憶からもいなくなって、あたしは当然のように梨香子や佐奈と帰ってる。
昴が長い時間を孤独に過ごしてきていることも忘れて……。
「…最低だ。」
思わず漏れた言葉に、昴は何も言わない。
「…ごめん、ごめん、……。」
ひどすぎる。
昴は毎日、亜時に行ってからも全部覚えてて、苦しい思いをしてるのに。
どんな気持ちで、過ごしてるんだろう。
「あたし、昴のためにがんばるとか言っときながら……なんもできてないじゃん…。」
話し出すあたしに、昴は黙って耳を傾けてくれてる。
「あたし…初めて昴の話聞いて、すっごいびっくりして…でも受け入れなきゃって、昴のためにも、あたしのためにも。」
だから、最後の時間を最高にしようって、夏祭りに行くこと決めたし…。
「だけど、…やっぱり、全然受け止めきれてなくて。」
学校では平気でいれても、家に帰ると何回も何回も抑えきれなくて涙が止まらないし。
視界が歪んで昴のことまともに見れない時だって、たくさんあるし。
「やっぱり昴がいなくなるなんて無理って、思ってた…のに、」
息が足りなくなって、慌てて息を吸う。
「なんか、少しずつ、昴が消えた生活に慣れてきてるようなあたしもいて……今、気づいた。」
恐る恐る隣を見たけど、昴の顔は穏やかだった。
「それは、たぶん…あたしが一方的に距離置いたり、1人で考えすぎたり、先走っちゃってさ…、結局昴との時間を大切にできてなかったからだと思う。だから、昴がいなくなった後も、おかしいってあんまり思わなくなっちゃったんだと、思う…。」
あぁ、だめだ、また色々こみ上げてきた。
あたし、最近人生で一番泣いてるな…。
「でも、だけど、やっぱり、あたしにとっては昴がいるっていうことが、その、地球に空気があるってくらい当たり前だし、ちょっと考えすぎちゃって感覚がおかしくなっちゃってたけど、今思えば、すごく寂しかった。」
そう。
昴が消えると、記憶は消える。
だけど、無意識に誰かの名前を呼びかけてあれ?って思ったり、
家で意味もなく誰かの着信を待ってたり…とか、自分でも不思議に思う場面が何度もあった。
「きっと、体のどこかでは昴のこと覚えてるんだと思う。だから、いなくなっても、覚えてなくても、どっかで寂しい気持ちはある。」
そこまで言って、体の方向を昴の方に向けた。
あたしの話が終わったと分かったのか、昴もゆっくりとこっちを向いた。
「…実際亜時で1人になってみてさ、やっぱ辛えなって思った。学校にいて、突然体がぶわんって亜時に飛ばされるんだ。もう毎日あるけど、いつまでたっても慣れない。」
突然…。
はっきりと想像なんてできっこないけど、すごく怖いことだと思う。
急に目の前のものが消えるんだもんね、、。
「…とにかく、亜時に行くのが、怖いんだ。信じられないくらい長い時間、1人で過ごすのも。」
ぐっと、顔が歪んだ。
「行きたくない。」
震える声。
たまらなくなって、どうしようもなくなって、
ぎゅっと抱きしめた。
不安定なジャングルジムの上で、昴の方をきつく抱きしめて、顔をうずめる。
驚いたように身をすくめた昴も、すぐにふっと体の力を抜いて抱きしめてきた。
あぁ…。
神さま。
この時間を終わらせないでください、
昴を消さないでください!………
そんな思いで、あたしは更にぎゅーーっと手に力を込めた。
その瞬間、どこからともなくぶわっと風が吹いた…ような気がした。
