「待て!何処に行くんだ!そっちは海だぞ!」


驚いたように肘の辺りを掴んだ彼の力強さに胸が弾む。
弾んではいけないのに、どうしても胸が踊りだす。


「…っなして…!」


離して…と言うつもりが最初の文字が声にならなかった。
泣き声を出すまいとしていたからか、空気だけが先に出て行ってしまった。


自分の方に腕を引き寄せようとするが敵わない。
それなりに腕力がある筈なのに、彼の方が力強い。


「離してっ!離してってば!」


何処までも自分の気持ちの真逆を行く。
彼に縋り付いて泣きたいのに、どうしてもやはりそれは無理。


「花梨、どうして逃げようとするんだ!?」


彼の声が困惑している。

したいのはこっちだよ。
貴方はもう人のものになったんでしょう。


「いいから離してっ!セクハラで訴えるよっ!?」


ああもう、支離滅裂。
社長をセクハラで訴える部下が何処にいるよ。


「訴えたければ訴えろ!でも、その前に逃げる理由を話せっ!」


彼も興奮しだしたのか、少し声を荒げだした。
お互いに一歩も引かず、自分の方に引き寄せようと頑張る。


「理由なんて言わなくてもわかるでしょ!?自分の胸に聞いてみたら!?」


もう上司に話している感覚じゃない。
これではまるで痴話喧嘩のようだ。


「そんなの聞いてわかるか!お前から話せっ!!」