それは唐突だった。

「陽万理、話があるの。ちょっとここに座ってちょうだい。」
中学の部活帰り、私はお母さんに促されてリビングにあるソファに座った。
同時にお母さんも対面のソファに座る。
「なによ話って。私、先に制服着替えたいんだけど。」
「すぐに済む話だから、我慢して。」
お母さんはそう言うと、テーブルにあったリモコンでテレビを消す。
「来年の春、陽万理が中学二年生になる前に引っ越そうと思うの。」
「は?」
私は目を見開いた。
雰囲気からしてあまりいい話ではなさそうだと思っていたが、ここまでとは。
「ちょ、ちょっと待ってよ。どうして急に引っ越しなんか…」
「陽万理、この前喘息起こして入院したでしょう?最近まで症状が出ていなかったから、私もあなたの喘息持ちはすっかり治ったと思っていたけれど…。東京は排気ガスが多いから、これ以上に酷くなるかもしれない。陽万理の為にも、もっと環境のいい所に引っ越すべきなんじゃないかって思ったのよ。」
季節は冬のはずなのに、じんわりと汗が湧き出てくる。
「そんな…あの時は体育の授業でちょっとはりきり過ぎちゃっただけで…。それに今はもう元気だし、これまでだって何回も喘息起こしたけど、13年間なんとかやってこれたじゃん!」
「なんとかねぇ…。」
お母さんはため息をついた。
「確かに今まで何回も喘息になってはいたけど、救急車を呼ぶほど一大事になったのはこの前が初めてでしょう?」
「だから何よ?」
「馬鹿ね、まだ分からないの?陽万理の喘息は昔と比べて酷くなってるってこと。このままだとさらに酷くなって、死んでしまう可能性もあるのよ。そうならないように早い目に手を打たなきゃいけないの。」
「だから引っ越すっていうの…?」
「そうよ。お医者様もその方がいいって言ってたわ。お父さんも由香理も納得してくれてる。」
やっと理解してくれたと思って安堵したのか、お母さんは背もたれに寄りかかる。
そんなお母さんを見て、無意識に握りしめた手に力が入った。
「てなんて…そん…ない。」
「え?何か言った?」
私はお母さんを睨みつけた。
「引っ越してなんて、私そんな事言ってない!私は、引っ越すつもりなんてないから!」
今度はお母さんが目を見開いた。
「陽万理、何言ってるの?これはあなたの為なのよ?」
「だから、頼んだ覚えないってば!大体どこに引っ越すの!?」
「高知県のいの町って所よ。」
「はぁ!?」
何よそれ。
お母さんは何を言ってるの。
「なんで高知なのよ!高知って東京からめっちゃ遠いじゃん!」
「そうだけど、お父さんの仕事の関係で高知がいいってなったのよ。お父さん、高知に知り合いがいるらしくてね、その人が仕事を紹介してくれるらしいの。それに知り合いの人がいた方が何かと助かるでしょう?高知の事とか色々教えてもらえるし、それを通して…」
お母さんの話が頭に入ってこない。
高知って田舎なんじゃないの?社会の授業で山地面積が全国で1位って習ったもん。
目の前のお母さんは人の気も知らずに喋り続けている。
「でね、高知は自然が多くて空気もきれいだし、『仁淀ブルー』っていわれている日本一美しい川もあるのよ!」
「それでも…嫌だよ。大体、引っ越したらせっかくできた中学の友達とも別れることになるじゃん…。」
「陽万理の気持ちは分かるわ。でも、辛いのはあなただけじゃないの。由香理だって小学校の友達と離れちゃうことになるけど、お姉ちゃんの為ならって受け入れてくれたのよ。」
お母さんはまっすぐに私を見て言った。
「陽万理は、そんな由香理の気持ちを台無しにするの?」
「………。」
何も言えなかった。
言いたい事は山ほどあるのに、何一つ口からでてこなかった。
悔しさで視界が滲む。
「…この話はおしまいよ。とにかく、引っ越しの準備はもう進んでいるから。」
そう言ってお母さんは立ち上がった。
台所に向かって、晩御飯の支度を始める。

私はその場から動く事ができなかった。