私は何もない場所にいたの。上も下も、前後左右もない、意識だけの場所ね。
「おうちは見つかったかい?」
「見つかったわ。それはどこにもないけれど、全てがあって何もない場所だったの。私はもうすぐおうちへ帰れるよ。」
「そうかい。それならよかった。」

私はあの日、白樺の木に頭をぶつけて死んじゃったの。その瞬間とても苦しくて、私は自分を自分の中から引っこ抜いたんだ。
「その時点で君は二人になったわけだ。つまりそれは死だね。肉体と意識が分離した状態。でも実際は頭の中にいるんだけどね。」
私は気付いたの。澪上法曲は生命の誕生から終わりまでを教える歌だって。
「白は黒になれるけど、黒は白になれないんだ。そして君は白いまま死んだ。そんな君にぴったりな歌なんだよ。澪上法曲は。」
私が見ていた霧の森やゼンマイ仕掛けの街、あと聞こえてくる森の詩。全て澪上法曲に仕組まれたものだったんだよね?
「そうとも。迷える君を新しい命へ導くためのものさ。」
澪上法曲は一番最初のママが細胞に仕組んだカラクリ仕掛けで、死んだ時にゼンマイが撒かれるようになってるんだね。私が懐かしさを感じたのは、命が誕生した時のことを思い出していたのかな。
「そうだね。死んだときにすごく悲しくて切なくて、母胎に戻りたくなっただろう。そこが君のおうちさ。新しいおうちでもあり、懐かしいおうちでもあるんだよ。」
そうね。
「今何が見える?」
何も見えないわ。ただ幸せな感じがするの。ママに抱かれているような、あの絵本を読んでもらってる時のような温もり。ママの顔も絵本の内容ももう忘れちゃったけど、ぼんやりとした優しい気持ちだけは覚えているの。私はその気持ちをずっと追っていたのね。

冷たくなっていく体は 温もりを追うんだ
一人になる切なさから 楽しい記憶をつくるんだよ
そして最後は全て忘れて また新しく産まれる
最初に起こった揺れが終われば 命は尽きるけどね

まるで落下していく雫のようだわ。その雫の中で私達は生まれたり死んだりを繰り返すのね。

「ほら、そろそろ時間だよ。光る魚たちが泳いでるよ。君も行かなきゃ。」

ええ、もちろんよ。
ありがとう、吟遊詩人さん。

こうして私はおうちに帰ることができたの。