私、古書店の雇われ主人です。

翌週の木曜日。少年は開店早々から店に来ると、詩歌の棚の前に落ち着いた。

そういえば、午前中から来るのは木曜だけで、他の曜日はそうでないのはなぜだろう? 気になる。聞けないけど……。

彼はちょいちょいつまみ読みをするというより、棚をじっと眺めてから選んだ本をじっくり読む。本屋としては買って欲しいところではあるけれど、それはまあそれとして。活字離れが言われるなか、若い人が本を熱心に読んでくれるのは素直に嬉しい。

(せっかくだし、座ってゆっくり読めばいいのに)

思わずカウンター席を勧めたくなる。でも、黙っておく。へんに刺激して、彼が来づらくなったら気の毒だもの。

(自然に、普通に、さりげなく)

そうは思っても、考えすぎて逆に不自然になってやしないかと気になってしまう。無関心や放置とは違うから。黙って見守るというのは存外エネルギーの要ることなのだと私は初めて知った。

午前中の店は相変わらずで、静かに時が流れていた。けれども、ある女性の来店で空気が変わった。

「いらっしゃいませ。あ、宮崎さん」

「どうも、こんにちは」

宮崎さんは市立図書館の司書さんで、無類の本好きの彼女は馴染みのお客さんでもある。

声に反応して彼がちらりとこちらを見る。すると、宮崎さんと目が合った瞬間、その表情は明らかに変わった。宮崎さんも「あれ?」という顔をする。でも、彼女はすぐに何もなかったように、すました笑顔で私に話しかけた。

「連絡ありがとうございます。注文していた本、受け取りに来ました」

「あ、はい。お待ちしていました」

(って、ああっ……行っちゃった)

彼はそそくさと本を元の場所へ戻して、さっと店を出て行った。

「そっか、休館日はここに来てたんだ」

「え?」

「彼ね、図書館の常連さんだから」

私はようやく彼の名前を知った。宮崎さんによると、彼の名前は竹内航(たけうちこう)君といい、市内の中学二年生だという。

平日の午前中に図書館を訪れるようになったのは六月の半ば頃。ここへ来るようになった時期と重なるけれど、学校に行かなく(行けなく)なったのが、その頃かどうかはわからない。

宮崎さんは、図書館付近で航君が同級生と思しき数名に嫌がらせを受けている現場を目撃したことがあったという。

「私が声をかけたらすぐに散っていなくなったんだけどね。航君、学校でも辛い思いをしていたのかもしれない」

「そうなんですね……」

涙が滲んで声が震える。冷静になろうとしても難しかった。どうしても自分の記憶と重ねてしまうから。私は涙がこぼれないように必死でごまかそうとした。でも、宮崎さんにはバレバレだったと思う。それでも、彼女は気づかぬふりをしてくれた。

「航君だけじゃなくて他にも何人かいてね。図書館に来る不登校の子。うちの館では黙認しているの。何もしてあげられないけど、ここに居たいなら居てもいいよって」

宮崎さんは自嘲気味に力なく微笑んだ。

「立場上、どんどん来なさいとは言えないんだけどね。でも、ふらふら街を出歩いていて犯罪に巻き込まれたりしたら大変だし。それにね、あの子たちは他の利用者に迷惑をかけるようなことは絶対にしないから」

ひっそりと息をひそめて静かに過ごす子どもたち。そのいじらしさを思うと、いっそう胸が苦しくなった。

「いかにも快活なタイプとは違うけど、みんな真面目でいい子たちだと思う。優しい子たちよ」

宮崎さんの口調には、彼らに対する思いやりと、やりきれなさが滲んでいた。

「今日ここへ来られてよかったわ」

「え?」

「沖野屋書店さんの定休日がうちの休館日とかぶってなくてよかった」

その言葉は私を励まし勇気づけた。

「私もよかったです。うちの休みが図書館の休館日と重なっていなくて。本当に」

ここだけでなく、彼の居場所は他にもあるのだ。だからといって、彼の抱える問題が根本的に解決されるわけではない。そんなことはわかってる。それでも、図書館の人たちの温かな眼差しに安堵せずにはいられなかった。