そんな言い訳じみた理由をつけて、額に滲んだ汗を拭う。


「高畑さんは、どこだった?」

何も知らない瀬尾君は、興味深そうに聞いてくる。
言うべき、なのかな。


「私も、矢木中だったよ……」

「え? そ、そうなんだ」

全く見覚えがない、という顔をするから笑ってしまいそうになった。
お互い様だったかも。
クラスが一緒になったとしても、瀬尾君は個人授業を————

でも、どうして中学校の記憶は鮮明にあるのだろう。

もしも記憶障害が生まれ持ったものなら、瀬尾君は家族や小学校、中学校の記憶までも失ってしまう可能性がある。
それがないのは、以前は普通に生活できていたという事……?

どこかの日を境に、同じ″今日″を繰り返しているのだとしたら。
ぞっとした。
夢の話で、明日が来なければいいとか全てを忘れてしまいたいとか、人が軽々しく口にする言葉。

それを事実経験しているかもしれない彼は、どんな毎日を過ごしているのか。
考えても見当はつかないし、本人以外に分からない。


「何だか驚くことが多いなぁ。僕と高畑さんは、ずいぶん前から同じ学校にいて、同じ景色を見ていたんだね」

嬉しそうに呟く瀬尾君だけど、私は嬉しくなかった。

同じ景色を見ていたかどうかなんて、分からない。
私は自分を不幸に思っていた。
秀でた特技もなければ、お金持ちでもない家で育っている。
周りの友達が東京や他県の観光に遊びに行き某コミュニティサービスにその写真を投稿する中、1人自宅で読書をしていた夏休み。

美友は美人なのに、私は美人でもスタイルが良くもない。
運動も得意というほどできない。
唯一得意と言える学力調査も、低い水準から見ればというだけ。

そんな事を悩んでは、親のせいにしたこともある。
けれど瀬尾君は、きっと私よりも辛い経験をしていて、何もかも投げ出してしまいたくなる境遇にあるような気がした。

こんなの、他人事すぎるけど。


「私の見ている景色って、瀬尾君と同じなのかな」


つい呟いてしまった。
すると瀬尾君はクスッと笑って私の手を引くと、窓際までやってくる。


「同じだよ、きっと。だってほら、僕には空が晴れてるように見える。高畑さんには、雨が降っているように見える?」

「……見えないよ」

「みんな、見える景色は同じだよ。僕は高畑さんと同じ景色を見れて嬉しい」


ふわりと微笑む瀬尾君に、胸の奥がトクンと鳴った。
見ている景色が同じなんて、私の言いたい意味が分かっているのかなと思った。

だけどその声が心地よくて、思わず笑う。

「瀬尾君って、意外とチャラいよね」

「え、チャラ……ごめんっ」

「ううん、大丈夫。あのさ、携帯持ってる?」


言いながら、ポケットに入れていたiPhoneを取り出す。
瀬尾君は、明日になれば私を忘れてしまうだろうと思う。
だけど、少しだけ。


「あ、持ってるよ。何するの?」

「連絡先交換しよ。瀬尾君と、もっと話してみたい」

お返しのように言えば、頬を赤くして目をそらされる。


「連絡先なんて家族しか、ないよ」

「なら、私が初めての友達登録だね」