俺に、青春なんて必要なかった



向かった場所は、言うまでもなく姫野の元だった。
けれど、居場所が分からなかった俺は、とりあえず教室へと足を向けていた。
久々に全力疾走したものだから、息は忽ち上がった。
教室のドアを全開にし、姫野の姿を探したが、そこに求めていたものはなかった。
それ以前に人気がなかった。
だが、俺は諦めないと思った。
探し出すまでは、見つけ出すまでは、止められないと思った。
俺の内側からとめどなく溢れ出す思いが、漸く気付いたその思いが、俺を激しく突き動かした。
次の行き先なんて考えていなかった。
考えるよりも先に体が動いた。
こんなことは初めてだった。
教室をあとにしようと振り返った時、俺は何かにぶつかった。


「あ、ごめん!」


瞑った片目を開け、尻餅をついてこけたその人に手を差し出した。


「わ、和久井くん!」


目の前には、探し求めていた姫野がいた。
今、まさに俺の手を掴もうとしていたその手を、慌てて引っ込めた。
スカートを軽く払うと立ち上がった。


「び、びっくりした。まだ、残っていたんだね」


やや早口で、髪の毛を触りながら言った。
長めだったその髪は、肩よりも短くなっていた。
俺は思わず、口にしていた。


「髪」


「あ、うん。短く切ったんだ。
ちょっと切りすぎちゃったかなって思ったんだけど、なんていうかイメチェンしてみたの」


姫野は小さくはにかむと、そのまま教室へと入っていった。
その後ろ姿を見ながら、俺は先程聞いた友達の話を思い出した。
失恋をしたから、髪を短く切ったのだ、と。
俺は上がった息を整えた。
けれど、頭は真っ白になるばかりだった。


「息……大丈夫? すごく、急いでいたみたいだけど」


姫野はハンカチをポケットに仕舞いながら、遠慮がちに尋ねた。
どう答えるのか、何を言うべきなのか、情けないほど言葉がうまく出なかった。


「人を、探していて」


「人? そう、なんだ」


姫野は少し目を伏せると、こう言った。


「もしかして……百瀬さん?
そうなら、多分もう帰ってると思うよ。
さっき、友達と鞄持って出ていくところを見かけたから」


「百瀬? 違うよ」


姫野の口から、百瀬の名前が出てきたのは意外だった。


「そうなの?
てっきりそうかなって思ったんだけど……外れちゃったね」


片付けをしながら、姫野は言った。
俺はゆっくりと歩み寄った。
そして、机一つ分ほどの距離で足を止めた。





「俺が探していたのは――姫野、だよ」





手が止まった。
いや、手だけではない、時間そのものが制止したようだった。


「私……?」


俺はぎこちなく頷いた。
落ち着きを見せていた鼓動も再び加速した。


「な、に?」


不安で、だけど窺うような瞳を姫野は向けた。


「その、さっき姫野の友達に――」


決して姫野には言わないで、と釘を刺されていたのにも関わらず、俺は側から約束を破っていた。
真っ白になった頭では、もはや正常な判断を下すことは不可能だった。
だけど、俺が言い終える前に姫野は駆け出していた。
恐らく、友達という一言で、俺が何を言わんとしていたのか察したからだった。


「待って!」


それは反射だった。
姫野が俺の横を通り過ぎたその時、彼女のその腕を咄嗟に掴んでいた。
その瞳には、驚きと戸惑いと不安と、様々な感情が入り混じっていた。
それを振り払うように俺は、姫野を強く、強く抱き締めた。


「和久井、くん……!」


苦しそうなその声に、俺は腕を少しばかり緩めた。
あとで卑怯だって言われるかもしれないが、胸に姫野を感じたまま、俺は心の思いを打ち明けた。


「俺……姫野に惚れてるみたい」


今思うとなんともまあ、格好のつかない告白だったと思う。
初めての経験だったからなんて言い訳を抜きにしても、反省点が多すぎて参るが、姫野は全身を震えさせながら泣きじゃくった。
発する言葉も聞き取れないほど、咽び泣いた。
姫野が一人、抱えていた思いの大きさを知った。
胸が軋むほど痛んだ。
姫野の涙が体の奥深くまで滲みた。
もう十分すぎるほど泣いたから、これからはもう絶対に泣かせないと誓った。



今度は、俺が姫野を守るから。
たくさん笑顔にしたいから。
だから――



「俺の彼女になってくれませんか?」


「……はい」


涙を拭いてから、姫野は俺の好きな笑顔でそう答えた。


(おしまい)

番外編
※遅すぎた春、散る
※崩壊の危殆、迫る