「あっ、ケーキは仕事が完了してからですから」

トヨ子ちゃんの声がリビングに響くと鼻歌がピタリと止む。

「原稿が仕上がっていない以上、仕方がありませんよね!」

うわぁ、悪徳商人顔。
トヨ子ちゃんて正真正銘ドSだよなぁ。

「だ・か・ら、冷蔵庫に仕舞っておいて下さい。コーヒーは頂きますから淹れて下さいね」

Iランド型のキッチン前で、母がワナワナ震えている。

「おっ鬼! 悪魔!」

しかし、トヨ子ちゃんは全く動じない。

「勇司は……」

その上、また音読が始まった。今度はトヨ子ちゃんの声で。
なぜこの人たちは黙読をしない!

もう溜息も出ない。これ以上ここにいるのは無理だ。居た堪れない。
時計を見ると十時四十分。そろそろ行くか。

「では、僕は……家出します」

モニョモニョと口ごもりながらドアに手を掛ける。

「――いってらっしゃい」
「うなじに唇を這わせ――いってらっしゃい」

カチャとドアを開け廊下に出た途端、どっと押し寄せる疲労。
やっぱり耳栓を買ってこよう……。