第七話 交差する過去

「今日は…雪が降りそうだねぇ」

「…そうですね」

患者さんに話しかけられるも、上手く笑うことが出来ない千尋

黙々と作業を進め、足元で片付けをしていると…心配そうな声が頭上から聞こえる

「…神崎さん、疲れているのかい?
少し、休んだ方がいいんじゃない?」

「あ、いえ…大丈夫です。ありがとうございます」

精いっぱいの笑顔で会釈し、病室を出る

「…はぁ」

病室のドアにもたれかかり、負のオーラ全開にため息をつく

だめだ。全然仕事に集中出来ない…

美里ちゃんと英治が付き合ってしばらく経った頃。
世間では、もうすぐクリスマスを迎えようとしていた

「クリスマス、か…」

英治はきっと、美里ちゃんと過ごすのだろう

二人で笑いあっていた、出勤翌日の事を思い出す

「…仕事に集中しなきゃ」

じわっと涙が出そうになるのを堪え、器具の片付けに向かった

「神崎ちゃん」

聞き覚えのある声に振り返ると、楓くんがいた

「ちょっと、いい?」

いつもの楓くんらしくない、真面目な顔だった


楓くんに連れられてやってきたのは…

拓海くんを探しに来た、屋上だった

「今日は冷えるね〜。はい、これ」

あったかいココアを手渡される

「…ありがとう」

吐く息も白く、冷たい風が二人の頬をかすめる

「もうすぐクリスマスだね〜」

「だね。…クリスマスかぁ」

ふと空を見上げても、思い出すのは英治と美里ちゃんの事ばかり。

曇る私の表情を横目に、珍しく楓くんがため息をつく

「…僕さ、基本面倒なことが嫌いなんだよね。
だから、他人の恋愛に干渉する気もほんとは無いんだけどさ…」

チラッと私を見て、深く深呼吸

「今の状況、ほんとにこのままでいいの?」

「…っ、」

良いわけが無い。

でも、それが英治の幸せならって思うと…何も言えなくなってしまう

「ほんとに今の状況が、英治の幸せに繋がると思ってる?」

「それはー…!」

「…神崎ちゃんは誰よりも一番近くであいつの事を見てたのにあいつの事、全然分かってない」

怒りに似た声色で淡々と続ける楓くん

「…あの人、水上さん?
僕あんまり知らないから、色々と調べたんだ」

怒りがこみ上げているのか、ぐしゃっとココアの缶を握り潰した

「…あの人、やばいよ」

「…やばい?」

「水上美里。昔、隣町の学校に通ってたみたいけど…かなり有名人だったらしい
僕、女に興味無かったから全然知らなかったけどさ?」

髪をいじりながら、出来るだけ冷静に話せるようにとゆっくりと話し始めた

水上美里。
家柄も良く非の打ち所のない、小さい頃から完璧だった彼女

そんな彼女には、双子の姉がいた。

名前は美織(みおり)。

完璧だった美里とは違い、幼い頃から病弱で入退院をよく繰り返していた彼女

そんな彼女が高校生になる頃、一人の男の子と出会った

「もしかして…」

「あぁ。英治だ」

たまたま実習に来ていた英治が彼女を担当する事になり、二人の距離が縮まるのに時間はかからなかった

「英治はあくまでも“実習生と患者”という見方しかしてなかったんだ。
それが相手も同じだったら良かったんだけど…」

事態は急変した。

「英治くん、ひどい!」

ベッドサイドのテーブルをだん!!と強く叩く美織

「私のこと、好きだって言ってくれたじゃない!私、嬉しかったのに…
私の気持ちを、弄んだの…?」

「ち、ちが…っ!
俺は、患者さんとして美織さんが好きだと言っただけで…!」

実習の中で英治に惹かれた美織は、どんなに辛いリハビリでも苦い薬でも、笑顔を絶やさずに耐えてきた

その姿が、英治は好きだと言ったのだ

しかし美織にはそう捉えられておらず…

恋愛としての好きと受け取ってしまい、トラブルへと発展してしまったのだった

「…美織さん、俺も軽い気持ちであんな言葉もう使わないよ。ごめん。
だから落ち着いて…?」

「…ふふっ。私ったら、ついムキになっちゃって…ほんと、ばかみたい…」

やるせないと言ったように前髪をかきあげる美織

「…もういい。顔も見たくない」

結局、英治は美織の担当から外されて別の患者の担当になった

「…それで、その後どうなったの…?」

英治にそんな過去があったなんて、全然知らなかった

…いつも笑っていた英治。

私に辛い顔なんてみせたことなくて、呑気だなぁって思ってた自分が恥ずかしい

それに、

…言葉って本当に難しい。

少なくともこの職についてから痛いほど味わってきた、痛み。

言葉一つで人は喜び、

言葉一つで人は悲しむ。

選ぶ言葉の一つ一つがその人の人生を左右する事もあるっていうから尚更難しい

空を見上げた楓くんは、また一呼吸置いて口を開く

「美織さんは…」

ためらいながらも、はっきりと告げる

「自殺したんだ」

「…っ!」

あの後、ムキになって英治を担当から外してしまった事を後悔した美織
何度も担当医師に戻すよう説得したが…

それが叶うことは無かった

美織の担当から外れて一週間が経った頃、たまたまリハビリ室で英治の姿を見た

「えい…」

やっと会えたのが嬉しくて、英治の元へ駆け寄ろうとした美織。

…しかし、彼女の足は止まる

そこにいたのは…英治と楽しそうに話す、同年代の女の子だった

「なんで…」

美織と同じように入院していた別の患者に英治がついたことを知り、ショックを受けた

「私が…あの時あんな事言わなければ…」

入口で立ちすくむ美織の横を、車椅子に乗った英治の患者と車椅子を押す英治が横切る

「英治…」

「…」

声は確かに届いたはずなのに、英治は聞こえなかったかのように去る

英治の瞳に、美織が映ることは無かった

「…許さない」

私から英治を奪ったあの患者も、
英治を元に戻してくれなかった医者も、
私のもとに帰ってきてくれなかった英治も…

「みんな…みんな許さない!」

その日の深夜未明、美織は処方されていた睡眠薬をあるだけ口にし、四階の病室から飛び降りた

「それって…逆恨みじゃない!」

「わかってる。…俺も、この話は英治本人から直接聞けなかったから色々調べたの」

「英治も…話したく、ないよね。こんな話…」

英治の気持ちが、痛いほどよく分かる

私が知らない間の英治は…どれだけ一人で思い悩んでいたのだろう

考えるだけで、心が痛む

「それで本題はここからだ。
自殺した美織さん、水上さんの双子の姉って言ったよな?」

「うん。まさか双子のお姉さんがいるなんて知らなかったよ」

「まあそうなんだけど…これ、どういう意味かわかる?」

「どういう意味って……え?」

何かが、頭をよぎる

あの時の…美里ちゃんの冷たい眼差し

獲物を射抜くような視線、それでいてどこか寂しさを帯びたようなあの表情

そこから推測されるのは…

絶対にあってほしくない、一つの仮説

「…復讐?」

「色々調べた結果…僕はそう捉えてる」

美里ちゃんが、英治に復讐…?

「双子の姉であった美織さんは自殺前、水上さんに遺言の手紙を残していたらしい」

「…なんて、書いてあったの?」

「…“一条英治は私のもの。誰にも渡さない。
あの患者や医者、病院にだって渡さない。
例え私が間違っていたとしても…”」

「まさか…!」

「あぁ。…水上さん、美織さんの遺言を叶えようとしてると考えるのが妥当だろうな」

美里ちゃん…!

「水上さんは、美織さんと英治の話も美織さん本人からちょくちょく聞いていたらしい。
だから、美織さんの自殺のきっかけになった英治を…
考えたくはないけど、殺す可能性だってある」

「そんな…」

英治が、美里ちゃんに…?

「…僕は昔から英治と居たし、英治が大切だから助けてやりたい。
でも、英治は美織さんの話を僕が知っている事を知らない
英治が僕にさえ話さなかった理由、わかる?」

「…守秘義務かかってるからじゃないの?」

「っ、それもあるけど!
…あいつ、周りを巻き込みたくないんだよ。いつも自分一人で解決しようとする
…そろそろかっこつけも、限界みたいだけどね」

限界…

英治の傷は、私たちが思っているよりもずっと…深いのかもしれない

聞けば初めて担当させてもらったのが美織さんだって言うし…

初めての患者さんが、自分のせいで自殺なんて現実を

…私なら、耐えられる自信が無い

「…英治、もうすぐ帰るよ」

「…私、行ってくる!」

「行ってどうする気?」

「英治だけじゃない。美里ちゃんにも…
二人の、ほんとの気持ちが知りたい
第三者の私が首を突っ込んでいい問題じゃないとは思ってる。
でも私にとって、二人とも大切な人だから…守りたいの!」

行かなくちゃ…今すぐ!

「わかったよ。でも、無理はしないで」

楓くんに見送られ、階段をかけ降りる

待ってて…美里ちゃん、英治!

絶対、悲しい結末にはしたくない。

二人には、ずっと笑っていて欲しい

楓くんがここまで調べて私に教えてくれたのは…
私に、英治と美里ちゃんを救ってほしかったからだと、今なら分かる

楓くんの頑張りを無駄にしないためにも、早く二人を見つけなきゃ

「はぁ…はぁっ…二人とも、どこにいるの…?!」

息が途切れ途切れになりつつも、足は止められない

日も落ちた夕暮れ、ある病室の灯りがやけに気になった

あれ、ここって今は誰もいないはずじゃ…

そっと中を除くと…

背中越しの英治と、ナイフのような刃物を英治に向ける、美里ちゃんがいた