第三話 事件

「お疲れ様です〜!」

私がこの病院に勤務して、約三ヶ月が過ぎた頃。
すっかり夏らしくなってきたものの、夜はまだまだ冷える。

「今日は夕ご飯の買い出しとー…」

この後の予定を考えながら1Fに降りると、何やら院内が騒がしかった

「…小児科の方だ。何かあったのかな」

小児科担当の看護師がバタバタと慌ただしく駆け回っており、その中に知った顔が居た

「あ、英治だ」

こちらに気づいた彼は、血相を変えて駆けてくるなり汗だくで。

「!!
うわっ、どうしたの。大丈夫?」

「はあっ…ちょ、悪い…タイム…」

息を切らす彼はそのまま私の肩にもたれ掛かった

「?!」

「…おま…いま、かえ…り…?」

「ちょ…一旦落ち着いて?
あたしは今帰りよ。どうしたの」

「はあっ…じつ…はな…」

「まあとりあえず、これで汗ふきな」

カバンからタオルを出して彼の汗を拭う

「え、でもこれ…」

「あ。未使用だから安心して?私まだ使ってないから」

「いやそういう事じゃなくて…」

顔を赤らめる英治を気にすることなく私は本題に入る

「それで?何があったの?」

「それが…
実は来週、手術を控えた患者がいるんだけど…いつの間にかいなくなってて」

英治の話によると、来週手術を控えた四歳の男の子が病室からいつの間にかいなくなっていたという。

「ずっと…怖いとは言ってたんだ…
手術を受けたくないって」

「それ、いなくなったのいつ?」

「数分前。担当の看護師が少し目を離した隙にいなくなってた」

「…っ、私も探すよ!その子、名前は?今どんな服装してるか分かる?」

「…!でもお前、今帰りじゃ…」

「そんな事言ってられないでしょ!
うち(病院)が預かってる大事な患者さんだもん。それで、どんな子?」

「…名前は村上拓海(むらかみ たくみ)。今は車柄のパジャマ着てたはずだ」

「車柄のパジャマね、オッケー!
英治、今ケータイかピッチ持ってる?
見つけたらすぐかけるから」

英治からピッチを預かった私は来た道を急いで戻る

「…千尋!」

「なに?」

「…いや。こけんなよ!」

「言ってくれるじゃない」

英治に笑顔を向け、お互い別々の方向へと駆けた


「…拓海くーん!村上拓海くーん!」

小児科病棟の方は担当の看護師さん達がくまなく探してるからいないと思うんだけど…
この病院、かなり広いからなぁ…

「うーん…四歳の子が行きそうな場所…」

小児科病棟は7Fだけどエレベーターのボタンは背が届かないだろうし…
階段は今私が登ってきたけどすれ違ってない。
だとしたら上にいるのかな?
でもこの広い院内、全部把握してるわけじゃないだろうし…
きっと、迷子になってるなこれは。

「んー…どうしよう…」

悩んでいた私に、一つの思い出が蘇る

…!

「そうだ!あそこなら…!」

思いついた私は一気に最上階まで駆け上がった。

屋上のドアを開くと、フェンスから空を見上げる一人の男の子がいた。

「…!」

「君が、村上拓海くんかな?」

「……」

男の子は静かに頷く

「良かったぁ…みんな探してたの。君のこと」

「…お姉ちゃん、何で僕がここに居るって分かったの?」

「ふふっ。
お姉ちゃんもね、昔この病院で入院してたの」

「そうなの?!」

「うん。
お姉ちゃんが幼稚園くらいの時かなぁ…
足を滑らせて階段から落ちちゃって。
右足の骨折っちゃったからしばらくここで入院してたんだ」

小さい時からわんぱくだった私は周りを見ず、友達と園内で鬼ごっこしていた最中盛大に転げ落ちた事があった

「お姉ちゃんも手術したの?」

「うん。いや〜お姉ちゃんもあの時は怖かったなぁ…」

「い、痛かった…?」

「もちろん痛かった。
…でもね、優しい看護師さんとかお医者さんがずーっと『大丈夫だよ。みんなここに居るからね』って励ましてくれて。
怖かったけど、頑張れたんだ」

「…僕も本当は受けなきゃだめなの、わかってる
でも、こわい…」

小さく震える拓海くん。

「そうだなぁ…じゃあ、拓海くんに質問!
手術を頑張ってこれから先、お外でお友達といーっぱい遊んで楽しく過ごすのと。
手術を受けないまま、ずーっとベッドの上に居るの、どっちがいい?」

「…!!
お友達と、遊びたい!」

良かった。

拓海くんにニコッと笑うと、少しホッとした顔を見せた

「拓海くんが手術怖いって言ってたの、お姉ちゃんもよく分かる。
拓海くんが手術頑張れたら、お姉ちゃんもお仕事頑張っちゃう!」

グッ!とガッツポーズをしてみせると、拓海くんは笑って。

「…うん!僕、手術がんばる!」

「拓海くんえらい!
それじゃ、みんなの所に帰ろうか」

拓海くんを抱き、英治に連絡

『拓海くんが見つかった?!』

すぐ屋上に来るように伝え、英治を待つ

「…ねぇ、お姉ちゃん」

「んー?」

「お空って、広いね」

「そうだね…」

静かな夜風に吹かれながら、二人で空を見上げる

「…ママが言ってた。
世界にはたくさんの人がいるのに、人生の中で出会うのは三百人くらいしかいないんだって」

「そうなの?」

「うん!だから、人と人との出会いを大事にしなさいって言ってた!」

「出会い、か…」

この病院に勤務し始めて、知り合いも増えた私。
学生の時から人見知りをあまりしないからか、友達もそれなりに出来た。

…その一つ一つの出会いも、大事なものだったんだなぁ


雲一つない、綺麗な夜空に目を奪われていた時、突然大きな音がした

「!わぁ…花火だ!!」

「ほんとだ!綺麗…」

近くの小学校で毎年打ち上げられるこの花火。
幼い頃、私がここで見た景色と何ら変わりなく、とても懐かしかった。

「僕…花火初めて見た!」

「打ち上げ花火、っていうの。大きいでしょ?
あ、今度はもっと大きなのが上がるよ!」

先程より数倍大きな花火が次々と上がり、小さな拓海くんの頬を明るく照らす

「すごいすごい!
こんなに大きな花火があるんだね!」

興奮したように身を乗り出す拓海くん。

「…来年も、きっと見れるよ」

「やっぱり手術は怖いけど…
僕、またこの花火見たい!だから頑張る!」

小さな拳から、強い想いが伝わってきた。

しばらくして、息を切らした英治や看護師さん達が来た

「拓海くん…!」

「あ!まなべさん!…ごめんなさい」

担当の看護師だろう。
泣き崩れそうになりながら拓海くんの元へと歩み寄る

「ううん、私の方こそごめんね…
私、手術に立ち会うのが初めてで…拓海くんに何て声をかけたらいいか分からなくて…」

拓海くんは彼女に近づき、口を開いた

「まなべさん!僕、手術がんばる!」

彼の笑顔で、彼女はホッとしたように拓海くんを抱きしめて。

事件は、幕を閉じた。


「…にしても、お前よく屋上に拓海くんが居るってわかったな」

「ふふっ。
この季節になると、屋上から花火が綺麗に見られるの」

「へー!屋上から花火ね〜」

「私もここで入院していた頃、よく上って見に来ていたの」

「え、お前入院してたの」

「階段の一番上から落っこちてね〜」

「…ドジにもほどがあるな」

「英治こそ、さっきから息切ればっかして。体力落ちたんじゃないの?」

「…っるせ」

何とか前みたいに話が出来るようになった私たち。
このまま、何もなければいいんだけど…