第二話 波乱の幕開け

「……」

「あのー…千尋さん?そんなムスーッとした顔でご飯食べても美味しくないよ?」

苦笑いしながら私に言う瑠衣。

皆川瑠衣(みなかわ るい)。彼女もこの春からこの病院で勤務した仲間で、学生時代からの付き合いでもある。

「えと…一条先生の事だよね?」

「べ、別に?あいつの事とか興味ないし!」

慌てて返答したせいか、むせてしまう。

「も〜…大丈夫?」

呆れたように笑う瑠衣は本当によく分かってくれる。
高校からの付き合いでも何かと相談すれば欲しい答えをくれるし面倒見もいい。

「それで…一条先生って、昔からモテてたりするの?」

「うーん…まあ、普通じゃない?」

実際の所、かなりモテていた気がする。
私と喧嘩ばかりしていた英治だが、ルックスはいい方だった。
バレンタインは決まって女子が集まっていたし、あいつが告白されたという噂を何度も耳にした。

「…やっぱ、モテるのかな」

「あれ、不安になってきちゃった?」

「…全然?」

心底不安になってきた。

英治といた頃、何とも思ってなくて。
あんなやつのどこがいいの?って本気で思ってたくらい。

「今週末さ、新入社員歓迎会あるじゃない?
…一条先生、かなり期待されてるみたいよ?」

「期待?」

「うん。
山本先生と二人、イケメンが来たから〜って、他の看護師騒いでた」

「楓くんは分かるけど…あいつが、ねぇ…」

「千尋、山本先生とも仲良いの?」

「仲良いっていうか…中学の時よく英治と居たから話くらいはするかなぁ」

「そっかぁ!」

嬉しそうに話す瑠衣。
この時の私はまだ、彼女の気持ちに気づいていなかった。

「よし!それじゃお昼も終わったし!
…一条先生にちゃんと話、するんだよ?」

「…わかってるってば」

結局あの時、英治に話しかけることは出来なかった。

…というかあの時英治と話してたのって…水上さんだよね?

水上美里(みずかみ みさと)。
確か隣町の高校を首席で卒業したっていう…
可愛いというより美人の言葉が当てはまる彼女
手際も良く、どこに居ても一目置かれる存在って聞いたことある

…水上さん、英治と何話してたんだろう

ーチクッ

あれ、まただ…
この痛みは、何なのかな。

ー…

「お疲れ様です」

仕事終わり、話しかけてきたのは水上さんだった

「あ、お疲れ様です…」

「えっと…神崎さん、だよね?
少し時間いいかな?」

「あー…はい。大丈夫ですよ」

うわぁ…早く帰りたい。

近くのカフェで彼女と二人、席についた

…わ、ブラックコーヒー飲めるんだ。

…コーヒー飲む様まで絵になるとか聞いたことない

カチャ、とコーヒーを置いて話し出す水上さん

「神崎さんも、この春から勤務し始めたのよね?」

「あ、はい。そうです」

「地元はこの辺?」

「はい。がっつり地元です」

…やばい。笑顔が引きつる。

しかし私とは逆に、彼女はぱあぁっと笑顔になる

「良かった!
私、この辺が地元じゃないから全然知り合いがいなくて。
…もし良かったら、今度色々と案内してくれない?」

「!」

え、私が?

「そりゃあ…私でいいなら構いませんけど…」

ふふっと笑う水上さん

「私、神崎さんがいいの!
実は一目見た時から仲良くなりたいなぁって、思ってて」

…私と?

「たまたまね、一条先生と担当する患者さんが同じになった時、貴女の話を彼から聞いたの」

え、英治が…私のことを?

「すごく楽しそうに貴女の話をしてくれたの。
…だから、もっと興味持っちゃって」



「良かったら…千尋ちゃん、って呼んでもいいかな?
私のことも美里って呼んでほしいな」

…やばい。
水上さん、めちゃくちゃ良い人じゃん

それなのに私…

「あ、ぜひ!」

「本当?!じゃあ改めてよろしくね、千尋ちゃん!」

満面の笑顔で私の名前を呼ぶ彼女が眩しかった

…私、最低だ


家に帰り、何もする気が起きずベッドに倒れ込む

「…はぁ」

何ひとりで嫉妬心丸出しにしてたんだろう
水上さん…美里ちゃん、良い人だったじゃん
英治を取られたくないからって何嫉妬して…



…ん?

英治を、…?

「ちょっと待って?」

え…?

私、今なんて考えた?

英治を取られたくない?



……

?!

「ええぇ?!?!!!!」

え、英治を取られたくない?
何で?!
私、何でそんなこと思っちゃったの?!

混乱する私にお構いなく、電話が鳴る

「…あ、もしもし」

興奮の冷めないまま電話に出たせいか、わずかに声が上ずる

『…俺』

「…え?」

聞き慣れた、男の人の声

『…』

「えっと…」

『…俺だって。英治』

?!!

「なっ…!!」

今一番聞きたくない声だった

「え、なん…私…」

『何でお前の電話番号知ってるのかって?
…皆川に聞いた』

瑠衣ーーーーー!!!!!?

は、早く話せってことですか…

「…」

どうしよう…
私、何て言えばいい?
ていうか、
何から話せばいいの?

なかなか口に出せず、お互い無言の状態が数秒続いた頃、先に口を開いたのは英治だった

『ごめん』

…え?

『お前を、困らせるつもりじゃなかったんだ。
ただ、何も考えず興味本位で聞いちまって…』

もしかして…初日の事、自分のせいだって思ってる?

「そ、それは私がー」

言いかけた私を英治は遮る

『いいんだ。
お前に好きなやつの一人や二人、いるだろうし。
…軽率にプライベートに踏み込んで悪かった』

…何で、英治が謝るの…

「…私、も…ごめん」

やっと言えた一言は、降り始めた雨にかき消されそうだった

『なんでお前が謝んの』

あ…笑った…

『まあとにかく!明日からまた頑張ろーぜ
機会があればお前とまたゆっくり話したいし…さ』

「う、うん…」

『じゃあ、それだけ。おやすみ』

「お、おやすみ…」

ツーツー…

…切れちゃった



英治って、あんな風に謝るんだ…

喧嘩ばかりしていた頃はお互いに譲らず、あまり謝る、ということをお互いにしなかった。

…英治も、大人になったんだ

一人変われてない私。
あの頃のまま、何も変われてない。

不安と危機感で、あまり寝付けなかった


「うわっ!千尋、大丈夫?」

朝一、更衣室で一緒になった瑠衣が驚いた顔で私を見る

「何て顔色の悪い…何かあった?」

「…瑠衣、英治に電話番号教えたでしょ」

「…え?私?教えてないよ?」

「……は?」

「いや、教えてない」

「…」

え?

瑠衣から聞いたんじゃなかったの?

「だって私、昨日一条先生とは挨拶くらいしかしてないし。
ましてや診療科違うのに会うことほとんどないから話さないし」

「…昨日、瑠衣から電話番号聞いたってあいつから…」

「え、なに。電話かかってきたの?」

コク、と小さく頷く私

「…誰から聞いたんだろ」

「…英治に聞いてみる」

「やめておいたら?」

「なんで」

「もしかしたら…山本先生かもよ?」

「楓くん?」

そういえば…
楓くんとご飯に行った日、連絡先交換したんだっけ…

「…一理ある」

「でしょ?
まあ、仲直り出来たなら無駄な詮索はしない方がいいんじゃない」

「そうだね」

「うん!…で、仲直り出来たのに何でそんな暗い顔してんの?」

「実は…」

昨日あった事を全部話した

「ふーん。水上さん、ねぇ…」

うーんと考える瑠衣

「ぶっちゃけ、私は水上さんあんまり好きじゃないなぁ」

「どうして?」

「良くない噂もあるじゃない。
ほら学生の頃、隣町の高校で…」

確かに、美里ちゃんの噂はうちの学校までよく届いていた

ーあの子、学校にファンクラブがあるらしいよ

ーえぇ〜でもこの間、クラスメイトの彼氏を横取りしたんでしょ?

ー私は六股かけてるって聞いた!

「…」

「美人だからって、何でも許されるわけじゃないって話!」

瑠衣は、それらの噂を信じているのだろうか…

「でも…美里ちゃん、良い人だったよ」

「あーんもう!
千尋は騙されやすいの!いい?美人には必ず裏がある!隙を狙って一条先生、取られちゃうかもしれないんだよ?!」

がっちり両肩を掴まれて迫る瑠衣

「…そうかなぁ」

まだ納得のいかないわたしに瑠衣はため息をつく

「まぁ…同じ職場の人間だからいざこざがあっても困るけども。
一定の距離は保っておくように!」

「うん…わかったよ」

「よし!じゃあ行こう!」

瑠衣がここまで彼女を嫌うのは、ある理由があった。

ー高校時代。
瑠衣には二年付き合っていた三つ年上の彼氏がいた
とても仲良かったのを私も覚えている
誰もが羨む微笑ましいカップルだったのに…

それを崩したのは、美里ちゃんだったと聞いた

「ねぇ…なんで?どうして?!」

誰もいない放課後の教室で、瑠衣が泣き叫んでいたのを覚えてる
ケータイ越しに、彼と話していたのだろう
忘れ物を取りに来た私は、教室前で立ち止まった。

「なんで…なんで?こんなに一緒にいたのに…!
どうして後からきたあの女がいいの?!」

数日前、貧血で彼の目の前で倒れた彼女を病院まで連れていったことがきっかけだったらしい

『…ごめん、瑠衣。
俺、もうあの子以外見えなくて…』

「…最低。
結局、男ってそういうものよね?
美人で可愛い女の子が現れたらすぐそっちに乗り換えて!」

怒りが収まらない瑠衣の言葉は涙に混じり、ほとんど声になっていなかった

「お願い…私を、愛してよ…!」

『…ごめん』

「謝んないでよぉ…聞きたく、ない…」

教室に入れずにいる私は動けず…
瑠衣にどう声かけたらいいのか、分からなかった。


…噂も、全部本当だと思ってるんだろうな
現に自分が好きだった彼氏取られちゃったから

「…千尋」

「なに?」

「あたしは、あの女と絶対仲良くしないから」

「…」

私の話を聞いて、今度三人で…と私が言おうとしていたのを察したのだろうか

「職場では、ぎくしゃくしないでよ」

「わ、わかってるわよ!」

いつになく冷静じゃなかった瑠衣はこの時、どんな気持ちだったのだろう
昔を思い出して少し涙目になっていたのは私の気の所為かな

「神崎さーん!こっち、手伝ってくれる?」

「はい!行きます!」

秋田さんに呼ばれて患者さんの元へ行く

「…神崎さん、ちゃんと話せた?」

「!はい。何とか…」

あはは…と笑う私を見てクスッと笑う秋田さん

「でもどうやら、あんまりいい方向にはいってないみたいね?」

「え。」

「ふふっ。冗談よ?
今朝、笑顔で貴女が一条先生と挨拶してるの見たからもう大丈夫かなって」

包帯を巻きながら笑う秋田さんは少し嬉しそうだった

「あの時はご迷惑かけました…」

「あら、迷惑だなんて思ってないわよ?
神崎さんみたいに可愛い子の相談なら私いつでものるんだから」

茶目っ気たっぷりにウインクする秋田さんは包帯を巻き終わると別の患者さんの元へと去った

「…あの子は、本当に面倒見がいいねぇ」

患者さんであるおばあちゃんがぽつり

「…そうですね」

私も、頑張らなくちゃ。