「世子、どうかしましたか?」
「あっ、………いえ、何でもありません」
どういう事だ?
名家揃いだと聞いていたが、あの娘がおらぬではないか。
終始伏目がちな娘達だが、見間違える筈はない。
中には、私に媚びを売ろうと目配せまでする者だっているというのに。
ヘスは自分のトルパンジを手渡した娘を探していたのだ。
「大妃様、申し訳ありません。急用を思い出したので、これにて失礼させて頂きたいのですが……」
「そうか、それは残念だ」
「また後でご挨拶に伺います」
ヘスは丁寧にお辞儀し、娘達にも軽く笑みを向け、その場を後にした。
「何故だ。何故、あの者がおらぬっ!」
「世子様、どうか落ち着いて下さいませ」
「私に、あれほどの啖呵を切ったのだ。あの場におらぬのは納得がいかぬ」
「法螺を吹いたのではないでしょうか?」
「法螺だと?」
「はい」
「あの者が本当に名家の娘なら、あの場にいた誰よりも……」
「…………世子様」
ヘスは資善堂に戻る道中、拳を固く握りしめ、必死に感情を押し殺していた。
ヘスがトルパンジを渡した、あの日。
ヘスは生まれて初めて頬を叩かれた。
吐息がかかるほどの至近距離で、甘い香りを漂わせながら、大きな瞳に零れんばかりの涙を溜めて。
叩かれた痛みよりも娘の顔が脳裏に焼き付いて、ヘスの心に大きな衝撃を与えていた。
王宮で育った世子にとって、女性に囲まれることは慣れている筈なのに。
何故か、あの娘だけは特別な印象を受けたのだ。
王宮の外だったからなのか。
初めて頬を叩かれたからなのか。
それとも、何か別の要因があったからなのか。
ヘスの胸は、ぽっかり穴が開いたようだった。



