僕は長野へ向かった。

 英会話をした喫茶店なら、もしかして彼女が立ち寄っているかもしれないと思ったのだ。

 僕は喫茶店のドアを、わずかな期待を持って開けた。


「いらっしゃい。ああ、海原さん!」

 マスターは笑顔で僕を迎えてくれたが、僕の松葉杖姿に驚いた。


「どうしかんですか?」

「ちょっと、事故起しちゃって……」

「大丈夫ですか? この前、雨宮さん来たけど何も言ってなかったから……」

 マスターの言葉に、僕は松葉杖を放り投げ、カウンターに詰め寄った。


「彼女、来たんですか?」

「ええ、一週間位前かな? ほら、おみやげ持って寄ってくれたんですよ」


 マスターはカウンターの奥にある、アボリジニのデザインされたワインホルダーを指さした。


「それで、今彼女は何処にいるって言っていました?」
 僕はマスターに迫った。


「実家に戻ったって言っていたけど……」


「実家ってどこですか?」


「いや、そこまで聞いてないよ。南信の方とか言っていたような……」
 マスターは申し訳なさそうに手を上げた。


「そんな……」

 僕は、カウンターの椅子に崩れるように座った。


「一体どうしたんですか?」
 マスターが心配そうに僕を見ている。


「僕…… 迎えに行けなかったんです」

 そう言うと、僕は両手で目を押さえた。


「今度来たら、すぐ連絡するから。又、来るよ」

 マスターの言葉に、僕は肯くのが精一杯だった。


 よく考えてみると、僕は彼女の事を何も知らない。

 実家の場所も、家族も…… 

 彼女の事が、全く分からないのだ…… 


 僕の前に、暖かいブレンドがそっと出された。