マフラーが必須になるほど気温が低下。
だけど文化祭が近付く程に、日ごとに、学校中の温度は上昇していく。
熱気が違う。外がすっかり暗くなっても、それぞれの発表準備に余念が無い。先生から、「頼むから帰ってくれよぉ」と半泣きでお願いされるまで、作業は続いた。
A4サイズの計画書を広げた。模擬店のテーブル配置。配膳台の設置場所。お手伝いさんの名簿。買い出しの食材と備品。明日からの文化祭に備えて、様々な最終チェックはぬかりなく進む。
3組の模擬店は……ずばり〝カレー〟だ。
カレー尽くし。お祭り。大名行列。カーニバル。
今日は、ゆうべこしらえた試作品を持ってきた。ポットに入れてきたので、今でも熱々。ご飯もちゃんとある。ナンも一応焼いてきた。

放課後になって、約束していた光野さんを探して校内を回っていたら、ふと中庭を通りがかり、見ればマユとサトちゃんがベンチに座っている。
マユは、今朝渡した筈のお弁当を今頃開いているのだ。午後2時。かなり遅いランチである。不思議に思って近づいてみた。
「授業が終わればメグのご飯が待ってる……それぐらい良い事が無いとやってらんないよぉ」
きゅん!と、泣き付かれたので、たまたま持っていたカレーの試食をあげた。サトちゃんには無言で盗られた。
「うまっ。うし。しまうま」
「……ごめん。今は頭が働かない」と、マユは項垂れた。
サトちゃんもマユも、選択の授業中、相変わらず岩崎先生にはしつこく突っ込まれているらしい。間違えたサトちゃんは余裕の苦笑いを、「大物だな」とホメられて(?)、マユは、「ずいぶん説明に困ってるね」と、たびたび指摘されている。途切れ途切れのマユの解説は、十分に先生の疑いを呼び起こした。
「教科書ガイドを使ってるの?それとも誰かのガイド?」と追求されて、筆談でリアルタイムに実況解説していたサトちゃんと共に、先生に睨まれ、お互いに焦ったらしい。
「今日の選択、カーヤが泣いたよ」
カーヤには同情するけど、自業自得だと思う。
「先生の携帯を覗くから罰が返ってきたんだよ。深く後悔するしかないって」
うわ、悟ってるぅ~と、サトちゃんに突っ込まれた。
「ちょっとあの先生、キツくなってきた」
「仕方ないよ。それが岩崎先生の仕事なんだから」
うっかり岩崎先生を庇ってしまった。「なーんか、最近メグって先生と仲良しだね。健太郎はどうすんの」と、サトちゃんからは意味深な目を向けられてしまうけど、本音は……阿東じゃなくてラッキー。
「もう、それどころじゃないよ」
明日から文化祭。
店の準備は波多野さんが仕切って、男子を総動員でテーブルなどを運んでいる。様子を窺いに行けば、イスを運んでくれる男子の中に阿東を見た。当然だ。単なるクラスメートなんだから。当然。
ポットの熱々のカレーを、小さいトレーに盛られた冷や飯に掛けた。光野さんにも手伝ってもらって、そこら中のみんなに配って回る。
カレーの、この誘惑的な匂いは、どこまで届くだろうか。校舎から、顔を覗かせる先輩。ポスターを貼りながら、こちらを2度見する女子。試食は、飛ぶように消えていく。早く来ないと、無くなっちゃう。
「んううむ」
ひと口含んで、たまたま目が合った誰かと、同じ感覚を共有するこの瞬間。
〝美味しい〟という言葉は、後から付いてくる。
これ。
この味。
共通言語で繋がって、頷きあう。この瞬間が、私は堪らなく好きだ。
3組の模擬店は、中庭のほぼド真ん中を宛がわれていた。生徒会の話の通り、食べ物の模擬店が少ないという事からして、期待度も注目度もナンバーワンとなっている。その先のゲート作成は、3年生のお仕事らしい。
岩崎先生は、その中に居た。

3年生に挟まれて、ぴょんと頭だけ飛び出た岩崎先生は、いつかのよく似合うジャージ姿。手には軍手、トンカチを握り、その肩にはロープを掛けている。今日はガテン系。背後から、波多野さんが何やら企んで近付いている事を、先生は気付いていない。ドン!と背中を突かれて、やっと気が付いた所で、その肩越し、先生と目が合って、慌てて逸らした。
こっちはこれから家で下ごしらえだ。光野さんは初めて家に来る。サトちゃんもマユもお姉ちゃんも、来て手伝ってくれる。お義兄さんも来るかもしれない。恐らく兄貴も居るだろうけど、どうせ手伝うのはツマミ食いだ。アユミはこっちが何も言わなくても来てくれるよね。もう帰らなきゃ。これから地獄的に忙しくなるんだから……言い訳するみたいに、自分に言い聞かせた。
なのに足が動かない。
「あ、今口」
やっと見つけられて、トンカチで手招きされた。
イヒヒと、邪に笑っているように見えるのは気のせいかな。また阿東とどうなった?とか言われるかもしれないけど、今日は先生にイジられている時間は無い。まったく無い。どんな〝罰〟を言われても、堂々と開き直る気満々で向かって行った。近付いた途端、岩崎先生は急に小声になって、内緒話のように手を添える。
「あのさ、クッキー旨かったよ」
「てゆうか、クッキーじゃなくてビスケットなんですけど」
その時、波多野さんが3年男子に囲まれて、「きゃあ」と、何やら嬌声を上げた。先生はその喧騒を横目に、周りから見えないようにそっと隠れて、携帯を開く。その画面を、こちらに寄越して見せた。画面には、一人の女の人がビスケットを食べながら、ピース・サイン。ウチのお姉ちゃんくらいの年で……これってまさか、先生の彼女。