私は〝卵〟になりたい。
卵は、万能だ。煮ても焼いても、そのまま生でもイケる。
何を混ぜて焼いても美味しい。
どんな形だって、食べたい人の自由自在にキマる。
その昔、レモンになりたいと言い張るアイドルが居て、「ありゃ間違いなくキャラだ」「そうじゃなかったら、19歳でいまだに中二病だ」と非難轟々の中、私は何となく彼女の言いたい事が分かる気がした。
彼女は、レモンのようにフレッシュに。
私は、卵のように万能で。
せめてその心意気に近付きたいと考えて何がおかしいだろうか。
自分ルールとして、お弁当には毎日卵を入れる。これ、鉄板。まずは形から、でもないけれど、集めた卵グッズは50を超えた。そのうちの1つ、卵型チャームを今日はカバンに付けている。

〝今口メグミ〟と名前入り。

〝1ねん3くみ〟はご愛嬌だけど、身長150センチに満たない見た目を揶揄して、うわピッタリ!と笑われても困るので、そこはひっくり返した。
学校までの地獄の坂道、北山坂をのんびりと行く。卵は、私の側を揺れながら、かすかに腕に触れながら、辿り着くまでの険しい道のりを寄り添い、励ましてくれるのだ。

9月。
2学期始まって、すぐだった。涼しくなったとは言っても、まだまだ朝から暑い。教科書。体操服。さらに腕が抜けそうな位に重い3人分のお弁当が、片腕を責め続けている。
同じクラスの男子で、野球部の佐伯健太郎が自転車で後ろからやってきて、
「おかん!」
私の背中をズドン!と叩いた。坂道をスイスイとペダルを漕いで昇って行く。こんな急な坂道だというのに健太郎のチャリはアッという間に消えて、こっちは毒付く暇もなかった。
あいつとは中学から一緒である。そのキャラを食材に例えると……健太郎は、まるで〝ちりめんじゃこ〟。
ウチでは、いつもそれは小鉢の賑やかし的存在に甘んじている。メニューによっては絶妙なバランスを取る事もあるから、そこそこ侮れない逸品だけどね。
「……荷物くらい載せてくれたっていいじゃん」と呟いた所に、
「お、健太郎の嫁じゃん」
「っす、ヨメ」
「コロコロ転がるヨメ」
「だけど貧乳のヨメ」
後ろから野球部の1年男子が続けざまにやって来て、根拠のない形容を勝手にあてがってくれた。
「ちょっと!誰のお陰で野球部が予選大会を決勝まで進めたと思ってんの。これ運んでよ」
「今口ぃ、せっかくだから鍛えれ~」
「そーそー、せめて胸に筋肉ぐらいは盛っとけよ」
散々な言われ様だ。しかし、今は言い返すだけの元気も勢いも無い。
「今日はこれぐらいで勘弁してやる」と斜め睨み合いながら、男子群とは自然と距離が出来て遠ざかった。
坂のほぼ中腹に差し掛かった所で、「ちと、ブレイク」道横のナナメの縁石に腰掛けた。不安定に座った勢いで、危うくお弁当を転がす所……横倒しにならないように、心持ち、半分腰を浮かせて座り直す。お弁当は膝に抱えた。カバンからペットボトルのスポーツドリンクを取り出して、ひと口飲んだ。その分、汗は流れる。
「アッと言う間の夏休みだったなぁ」
健太郎の所属する野球部でも、合宿、予選大会と、あっという間の夏。私は健太郎に頼まれて、野球部での合宿、その料理係のお手伝いに行ったんだけど……野球部のマネージャーさんは3年女子が1人だけ。どうしても外せない模擬試験があるという女子マネージャーさんに代わって、「大丈夫。こいつら、勉強以外にアレルギーって無いから」とばかりに2日間の晩ゴハンを私一人が任されてしまったのだ。
こんな大人数、作るのって初めて。材料費とか量とか言うより、その仕事量がハンパない。バカでかい大鍋が2つと炊飯器が3つ。大量のお皿。
「もう、洗うだけで息切れだよぉ!」
……だけど、痩せなかったよ。
男ばかりの野球部。食い盛り。合宿1日目は真夏の熱闘甲子園、グラグラと煮えたぎる大鍋料理。
「肉なら何でもいい」と言うヤツらだった。鍋には、タンパク質とビタミンの宝庫、リーズナブルな豚肉を大量に放り込んだ。豆腐。白菜、しいたけ、ごぼう。にんじんのぶつ切り。豚肉をメインに入れた塩ちゃんこ鍋である。スタミナアップに、ショウガのすりおろしや、ニンニクなんかも用意した。部員にリクエストされて、鶏の肉団子も大量に放り込んだけれど、2種類の肉を同じ鍋にブチ込むなんて……そう言えば、我が家では絶対にやらないなぁ。
1つの料理に、生き物は1つ。命に敬意を表して。
自分の中で、モラルの本能が働いているような気がする。
合宿2日目は、鉄板メニューのカレー・ライスにした。ふらりと様子を見に来たという野球部OBにもご馳走する羽目になる。「卵あっかな?」と、3年部員にお願いされて「はーい」と冷蔵庫から取り出して渡した。先輩は卵を片手に掴むと、「基本だよな」と手慣れた様子でポンとカレーの上に割り落とす。
「ですよね」と、私は親指を突き出して頷いた。卵は何でも合う。だから、何でも使って欲しい。後輩に「でたッ!」と呆れて引かれながらも、嬉々として卵とカレーを掻き混ぜる、坊主頭の先輩。
「俺も欲しい。卵」「俺も!」「こっちも」「卵!おかん!」「俺も卵。神!」
本能の前に、人間は一瞬で従順に変わった。正直で無邪気なおサルさん達。
そして、5分もしないうちに、奪い合うようにお代りに立った。ご飯はギリギリで足りた。お客として……愉快な困ったちゃんだな。
2日間。かなり大変だったけど、結構楽しくて。何よりみんなが、美味い美味い!と喜んで食べてくれたのが、やっぱり嬉しい。私の料理を、いつの間にか数学の倉田先生までもが堪能していた。誰だかお客さんが来ていたらしく、ついでにその人にもカレーをご馳走する羽目になったけど。
その人はよっぽどの食いしん坊なのか、その人の皿だけがまるで舐めたように綺麗になって戻ってきた。ひょっとしたら……足りなかったのかもしれない。
腹一杯食べてもらう事は、私のポリシーだ。味付けよりも彩りよりも、それが1番大切だと思っている。誰だか知らないけれど……ごめんなさい。
お弁当がゴロリと倒れそうになって、「うあっち!」と、慌てて手を伸ばしたその時、腕にチクリと刺されるような感覚があった。一瞬、虫かと思ってヒヤッとした所、それは縁石の向こうから伸びている木の枝で、5センチ以上のトゲがある。大きな葉っぱの向こうに、まだ小さな緑色の実を見留めた。
まだ青い、柑橘の実。
良く見ると、葉っぱの陰に隠れて、いくつもいくつも小さく生っている。
「うっわぁー」
一か月もしたら、食べられそう。誰かに取られる前に……と、見ると、すぐ側に剥き出しの半分が地面に転がっている事に気が付いた。
「先を越された、てゆうか、気が早い」
恐らく獣にやられたんだと思う。私はそれを拾い上げてカバンに仕舞うと、学校に向かって坂道を急いだ。

朝の朝礼10分前。
月曜日の今日から本格的に2学期の授業が始まる。教室に入ってすぐ、まずは机の下に、いつものように大荷物をドカッと置いた。早速のクジ引きで、私の席は教室のほぼド真ん中になっている。夏休み明けて間もない。周りを見渡せば、夏シャツが一段と白く映えて写った。
「部活焼けだよ~」と切ない声を上げたのはテニス部の女子だ。二の腕と太ももにウェアとスカートのライン、白と黒の境目がくっきりだった。腕はともかく、その太ももの絶対領域ラインはちょっと恥ずいかも。
「このラインより短いスカートは履けないよぉ」と溜め息を付いている。
私は遠慮なく笑って、
「いいじゃん。こういう服だよって、堂々といっその事マッパで歩くとか」
「それいいよ。裸模様のベージュのワンピって事で」と、たまたま通りがかった女子が参戦。マジで脱がされそうな危機感を感じたのか、「やぁだ、もう」と、女子は逃げ出した。逃げ足が速い。さすが運動部。
よくよく辺りを見渡すと、肌の色、身長、髪型、みんな何かしらに変化が見られる。私だって、髪型にわずかながらのイメージ・チェンジを施して来た。
ゴの辺りで膨らんだボブスタイルは中学ん時からの定番だけれど、今朝はヘアワックスで毛先をくるんと捻じってニュアンスを加えてみた結果、今現在に至って、誰も気づかない。
あ!この夏、2キロ痩せたっ!……誰も気づかない。身長150センチの小柄な、とも言えない〝そこそこ、ぽっちゃり体型〟。2キロ程度じゃ気付いてもらえないのも分かっているけれど。
「らす」
そこに、同じクラスで仲良しランチ仲間の、渡部マユが賑々しく入ってきた。自称、君に身近な広報部長。確かに、誰と誰が付き合ったとか別れたとか、そんな情報はマユを通じて、周辺に漏れなく伝わる。
マユはマヨネーズが大好きだ。つまり〝マヨラー〟。そしてそれと同じくらいシーチキンも大好きで、2つを混ぜてパンに塗り、あるいはご飯に掛け、サラダにも、何故か豆腐にも……という朝食を、毎朝実践している。
「いっそのこと〝マヨ〟と呼んで」と、言ったか言わないか。ひと夏我慢して伸ばしたという長い髪はツインに結わえられて、肩先で揺れていた。前髪はこれまた潔くパツンと切り揃えている。
早速、何やら賑々しく、情報を発信しているのだ。
「きゃあ~っ、奥井先生さー、ガッコ辞めちゃったんだって」
「え、ウソ!マジ?」
奥井先生は女の数学の先生である。家庭の事情で突然だったみたい。
朝礼に向かう廊下を行けば、マユがまだまだ賑やかに嬌声をバラ撒いていて、「きゃっきゃっ」と、まだまだ、かなりの慌てぶり。聞いていると奥井先生の辞職の件は本ネタの前フリのようだ。本当に言いたかった事はそれではない。今日からやってくるという、数学の新しい先生の事らしい。その人はウチの学校の卒業生で、云々。ほにゃらら。「へー、ほー、ふ~ん」と、こっちは慌てもせずに聞き流す。しかし、マユは、まだまだ慌てていた。
「それが、結構イケてるらしいの!」
きゃあ!と、マユは嬌声を連発だ。だけど、その盛り上がりも私的には、
「ふ~ん」
今までマユが好きになるのは、先輩も同い年も、どれも背の高い男子ばかり。背が高いというだけで2割増し良く見えるだけのような気もする。半分ぐらいに聞いておこう。熱い期待のせいで胸も躍るらしく、「るららら~」と、マユは本当に踊りながら校庭に飛び出た。私は1.5メートルの距離を保って、後ろを笑いながら付いていく。バタバタと慌ただしい月曜日の朝礼が始まった。
今回に限って、マユの情報は正確だった。
朝礼で並んだ先生の列の中。背の高さ、年の若さだけでも目立って見えるその先生は、本当に格好いい感じの人だった。背が高くて、ほっそり。高価そうなスーツ(なのかな?)が良く似合ってる。真面目そうな、賢そうな雰囲気が漂っていた。
例えるなら、まるで華奢なグラスに放り込まれたポッキー・チョコレート。
テーブルの中央に飾りのように恭しく置かれて、何となく手を出しづらい。だけど、ひとたび誰かが手を出せば、それを合図に一本、また一本と止まらない。結果、どのおつまみよりも1番先に無くなるのだ。
夏の大会予選を惜しくも決勝で敗退、準優勝を表彰されている野球部キャプテンをそっちのけで、「あの先生、彼女とか居るのかな?」と、さっそく女子の囁く声が聞こえてきた。「居るよ、あの顔は」「ヨメが居そう」と最初コソコソと小さく、「居ない歴3年ぐらいかな?」「つーか、遊んでそう」と、段々ズケズケと大きく、あちこちから浮かれた声が弾んでいる。「オンナはすぐこれだよ」「ゲスだ。ゲス」と思った通りというか、男子の呆れた声も聞こえてきた。
2学期早々、思いがけないサプライズ。イケてる先生の到来!
周りに煽られて、何だかこっちまでワクワクしてきた。
その時だ。