10月の半ば。
とうとうやってきた、2学期の中間テスト。
ノートの大量コピーに埋もれ、出題範囲を軽快に読み飛ばし、単語と慣用句を頭に詰め込んで過ごした一週間。スーパーでコンビニで、これまた大量の食材を買い込んで挑んだ一週間でもあった。
現国は行き当たりばったりで、どうにかイケた。だって……日本人だもん。
化学とか地理は専門用語とカタカナの国名がややこしいけれど、記号で答える問題だったから、イチかバチかでイケた。英語はリスニングが厄介で、そのぶん長文読解で点を稼いだ。どれも追試ラインは超えるだろうと、ホッとしたのも束の間、何を覚えて挑んでいいのか分からない数学は……見た事の無い問題ばかり。0点の可能性も捨てきれないと、試験中に早くも泣きそうになった。
前の奥井先生は、殆どが教科書やプリントにあった問題を出してくれたので、暗記でも結構行けたのに。思った通りというか、岩崎先生の数学試験は、徹頭徹尾、暗記の通じない世界だった。結果を見れば、数学だけが追試。今まで60点台をキープしていたのに、今回は屈辱の18点。
18点もあったなんて……それはまぁ、意外過ぎる。
自分のシャーペンより、岩崎先生の赤ペンの方が大活躍だった。答案は、いつも以上に真っ赤に染まっている。キムチにもケチャップにも見えない。履歴書は真っ黒に染まるだろう。お母さんに何て言おうか。
「……人生終わったよ」

追試会場にあてられた視聴覚室で、自分史上、1番大きなため息をついた。
見ていると、部屋は半分ぐらいが埋まっている。3組では、私を入れて追試は5人だけ。やっぱり健太郎はいた。私以外は、数学に限らず勉強なんて、ちっともやらない男子ばかり。どの授業も遊んでいるから、英語なんかも追試に掛かっているようなヤツらばかり。
「私、ちゃんと真面目にやってるのにな」
追試の試験監督は倉田先生だった。
私と目が合うなり、「今口が追試なんて、どうした?」と不思議そうに、顔を覗きこまれた。健太郎が、そこを聞きつけて、
「おまえ何かあったんじゃね~の!とうとう夏に突き抜けた?」
ささやかな勘違いは吹っ飛ぶほどだ。あんまり悔しくて涙が滲んできた。
「もう、野球部でご飯作ってやんないから」と突き離すと、健太郎は、「うへ。怖ぇー」と、すごすご引き下がった。
先生から諸注意を語られ、問題が配られ、開始の合図からしばらくはシャーペンの音しか聞こえなくなる。試験は……やっぱり見た事もない問題ばかり。
追試なんだから、もっと簡単に作ってくれたっていいのに。どことなく見覚えのある方程式を、数式を、頭の中で転がした。

そこに岩崎先生が入ってきた。何やらコソコソと倉田先生に伝言して。
……岩崎先生のせいだ。
私はソッポを向いた。窓の外に向かって、恨みの呪文を唱えて。選択授業で泣いたアユミの事を考えた。そんな選択授業、私ならすぐ辞めるのに。クラスの授業はそれが出来ないから絶望的だよ。
その次の日、倉田先生から追試の結果が返された。
「追試は、これで終了。お疲れさん」
開放感に包まれて、みんな大喜びである。大きく背伸びをした。返された答案を見ると、妙な事に、赤ペンの採点が1つも入っていない。ただ名前の上に〝特〟と1文字だけあった。これは何ですか?と倉田先生に聞こうとして……躊躇した。結果を受け取った誰もが、自分の結果に何の疑問も持っていない様子で、カバンに収めたり、友達に平気で晒したりしている。
まさか〝特〟って私だけ?
特別拷問部屋行き、みたいな?
どうにか平静を装ってその場を後にしたけれど、懲罰の悪夢が付いて離れない。
〝特〟の意味も分からないまま、次の日から、いつものように授業は再開された。さらに教科書をどんどん進んでいる。期末はどうなるんだろう。大量の新しい宿題に溺れてもがく毎日、チョコレート1箱は、あっという間に消えて、ニキビが生まれた。そんな頃、3人のランチタイムには異変が起きる。
「今日のお昼なんだけど、光野さんと一緒に食べる……ごめん!」
マユが離脱。
聞けば、サトちゃんが根を上げた事で、選択授業の日はクラスの宿題と一度に、光野さんと答え合わせをしたいらしい。「でも、メグのご飯は食べたいなぁ。むぅー」と言うので、「調子いいヤツぅ」とは言ったけど、いつものように給食費と引き換えにお弁当だけは渡してやった。もし、私が数学出来る子なら光野さんではなく、私と答え合わせ出来た筈だ。役に立たない友達として、お弁当は、せめてもの罪滅ぼし。手を振って駆け出すマユを見送って、残されたお互い同士、サトちゃんと頷き合った。
「フラれちゃったねーん。ぽ」
「元カノでーっす。ぽ」
こうして時々マユが抜けて、お昼はサトちゃんと2人だけになる日が増えた。
「サトちゃんは、誰かと答え合わせしなくていいの?いいよ。私に気を使わなくても」
「いいって。やってなくても殺される訳じゃないし。間違ってもヘラヘラ笑っときゃいいんだから」
「強っ。なんて、おとこまえ」
サトちゃんが大きく見える。追試なんて笑っときゃいいんだと、サトちゃんのように余裕で笑えたらなぁ、と思った。選択の中間テスト、サトちゃんは余裕で、「80点はあったから満足さ」と笑った。
「マユは90点超えたらしい。喜び過ぎてイッちゃってるよ」
「マジで!?」
90点台には、正直かなり驚いた。岩崎先生にイカれたお陰で成績上がったのが一目瞭然である。それでも凄いと思った。同じクラスだからという事もあって、普段から大っぴらに成績の話はしないけれど、今度ばかりは……追試の私に気を使ったのかもしれない。それで黙っていたのかも。
私の悲惨なテスト結果を、サトちゃんはマユあたりから聞いて既に知っているかもしれないけれど、それでも追試になったなんてあんまり情けなくて、自分からは言い出せなかった。誰にも聞けない。〝特〟って、何だろう。
「……今日はカレー尽くし」
スープは、カレー・スープ。メインは昨日作ったカレーの残りを、さらに煮詰めてこしらえたドライ・カレー。
「今日は、シンプルに目玉焼きを乗っけてみました」
こうして黄色以外にも、色合いに変化を持たせている。冷めても刺激を放つスパイシーな香りが、いっときの憂鬱を吹き飛ばしてくれる事を願って。
スプーンで、ひとくち。
「うぅっ。うまぽ。メグさま、神っ」
スプーンを天にかざして、サトちゃんはひとしきり感動してくれた。気絶しそうな勢いで2口目に突入。
太陽は出ている。風も無い。これからどんどん寒くなっていくだろうから、外でランチは、もうしばらくの間だけ。そろそろメインも衣替えが必要かな。そう言えば、キッチンの衣替えがまだだった。テーブル掛けの模様替えを頭に思い描いていた。そこに、後ろあたりから賑やかな声が聞こえてきて、見ていると女子が2人、近付いてくる。
「あ、今口さん居た」