本日のメニューは親子丼。
ただのチキンじゃない。今回は勝負とばかりに、地鶏&ヨード卵で奮発した。
タマネギを炒める時には、マユの大好きなマヨネーズを使った。普通に油で炒めるよりコクが出る。思えば、タマネギ、マヨネーズ、そして……卵。
これまた、BIG3。申し分ない味のチームワークだな。
だが。
本日も、マユはグラフと図形に埋もれている。今日はクラスで数学が無い日だと言うのに、3組で出ていた課題までもサトちゃんを突いて教わり始めた。
「何で二重苦を抱えなきゃいけないの?あたしは3組じゃないんだけど」
サトちゃんはため息が連発だ。マユは、箸がずっとお留守になっている。ずっとシャーペンを握っているから。私は、お箸とスプーンを取り変えた。これなら課題をやりながらでも食べやすいと思うし……どうして自分がここまで譲らなくちゃいけないのかな。そんな悔しい気持も同時に起こった。そんなの見なきゃいいじゃん。
「こないだ前の男子で終わったからさ、多分、明日はあたしから当たる気がするんだよね」
「そんな順番なんて、覚えてないんじゃない?」
「でも、可能性はツブしとかなきゃ」
岩崎先生に、出来る生徒だと思われたい。マユは、そんなアピールに夢中だ。
「優等生路線で食い付くのはムズいって。メグみたいに出来ない生徒で印象付ける方が簡単だよ」
「ちょっと、それどういう意味よっ」
思わず参戦してしまったけれど、やっぱりというか、今日もご飯を食べながら、2人の話題は岩崎先生の言ったりやったり、なのだ。今日は数学が無い日なんだけどなぁ。これじゃ、毎日あの先生と会ってるみたいだ。
ブ然と、スープの保温ポットを取り出した。
「ひわわひって、いわひほほひふらしって、ほんぽ?」
お口一杯の卵ふわふわで、サトちゃんの質問は要領を得ない。だけど、「らしいよ」とマユは応えた。
「話見えないんですけど」
「岩崎先生はァー、今独り暮らしだよって事」
サトちゃんが、こくんと頷いた。波多野さんが言ってたとかで……どうでもいい事だけど。独り暮らしと聞いても、岩崎先生が料理をやってる姿は想像つかなかった。卵を落としたお湯掛けチキンラーメンがいいとこ。コンビニの常連。家に居れば〝そんな事〟と全部お母さんにやってもらっているに違いない。
「それがさ、最近この近くのマンションに引っ越してきたんだって。ふふ」
何が嬉しいのか、マユはスプーンをカチカチと言わせた。
「家近いんだ。そんなの困るじゃん。コンビニとか、夜は徘徊できないよ」
そう言いながら、2人にポットの特製スープを注いでいると、マユが弾かれたように、
「ねぇ今度さ、岩崎先生んちに遊びに行かない?」
「「え?」」
サトちゃんと私は同時に反応した。
「あたし場所聞いとくからさ、メグの料理とか持って、押しかけちゃおうよ」
「やだよ」
「こないだの最悪の授業のお詫びっていうかさ」
「やだ」
「じゃ健太郎も一緒に行かなきゃ、だね~ん」
その健太郎だが……あれ以来、健太郎は親に直談判される恐怖に怯え、授業中は先生の顔色を窺うようになった。こうなると先生の作戦勝ちである。
許してもいないのに、「他に誰を呼ぶ?」と勝手に盛り上がるマユに対して、私は身体ごとドンドン引いた。料理なんかやってる時間があったら勉強しろ。数学をやれ。あるいは、「女の子は気楽でいいよな」と、そんなバカにしたような諦めの雰囲気。先生はアザ笑うに決まってる。まだまだ盛り上がるマユを見ていると、岩崎先生を語るその表情は、波多野さんと大差ない。とうとう、本格的に洗脳されてしまったの?
話題は、またすぐ数学の課題に取って代わり、再び2人は答え合わせを始めた。サトちゃんとは2つを除いて合っていたと、マユは、きゃっきゃっと大喜びだった。スープは2人とも放ったらかしで。
「岩崎んちに遊びに行くとかって、それ平気なのかなぁ」
サトちゃんが話を蒸し返す。
「何で?」
「付き合ってる彼女と同棲してるとかいう噂あるよね」
ゲ!と引っくり返って驚いた自分とは対照的に、「波多野が言ってたヤツ?そうらしいけど、それが何か」と、マユは至極当然、先刻ご承知の様子だった。
「急に押し掛けて行ってさ、彼女にバッタリ会ったりしたらヤバくね?」
「平気だって」と、マユは自信満々だった。
「イッキに結婚しちゃえばいいんだよね。波多野がウザいから」と、サトちゃんが呆れる。
「彼女と、そんなやりとりもあったらしいよーん」
「何でそこまで分かるの?岩崎先生から聞いたの?」と、私は思わずマユに聞き返した。
「2組のカーヤが先生の携帯を覗いたらさ、そんな彼女メールがあったんだって。きゅん」
きゅん、どころじゃない。こっちはギョッとした。カーヤに唖然とする。携帯覗くなんて。「マズイよ、それは」と思わず声に出た。「でっしょ~ぉ?確実別れるって」と、マユはこっちの困惑を違う方向に誤解したみたいだけど。
「彼女の顔は?」
サトちゃんが、鋭く突っこんだ。
「それが見つからなかったらしい。カーヤが残念がってたよ」
そう言ってるマユも、何処か残念そうに見える。
「彼女はアセってるけどさ、仕事が忙しくて今はムリ~って先生の返信はそんなのばっかだったらしいから。何だか続く気がしなくね?ね?」
サトちゃんと2人で、嬉しそうなマユを、じぃーッと見つめた。
マユは、とうとう本心を曝け出してしまったと自分で恥ずかしくなったのか、急に大人しくなる。サトちゃんは、マユをじぃっと見つめて、フフフと謎めいて笑った。すべてお見通し。とことんイジってやるぅ、そんな悪魔の微笑みである。タッチ交代。これでしばらく私と健太郎はイジられないで済みそうだ。

同棲の彼女が居ても自宅に押しかけようというマユの無謀な勇気に、お見事。小悪魔のサトちゃんは、クラスでの数学実力テストが95点だったという。これもお見事。羨ましくて……そして自分の情けなさが身に沁みた。
「岩崎の選択に比べたら、倉田の実力テストなんて、ちょろいからね」
「いいなぁー。私、数学は倉田先生がよかった」
つくづく運に恵まれないメグミである。
「ねぇねぇ、この公式って、何でこうなるわけ?」
「公式ってのは深く考えないで素直に従っていればイインダヨ」
マユの質問に答えるサトちゃんの声色が突然変わって驚いていると、続けてマユが、「やだぁ!」と笑い転げた。不思議に思って、「何?」と聞けば、これは岩崎先生の真似だと言う。2人は声を揃えて笑った。
せっかく奮発した親子丼なのに、2人のスプーンはすっかり止まっていた。
マユは、まだまだ嬉しそうに岩崎あるあるを続けている。サトちゃんは宿題を並べてはいるが、全部そっちのけでマユと岩崎先生をイジっている。マユは大喜びで、さらに岩崎あるあるを。このループはいつまで続くの。
ムッとした。
もう我慢できない。
「私、あの先生、なんか嫌だ。合わない。ほんと嫌だ」
わざわざ言いたくはなかったけど、つい出てしまった。
岩崎先生は、2人をすっかり取り込んでいる。友達を盗られた、そんなヤキモチかもしれない。スープはすっかり冷めてしまったよ。
2人に聞きたい。
私と岩崎先生、どっちを取るの?