その日の放課後は、アユミと会う約束があった。
いつものように部活を終えて、アユミは待ち合わせたマックにやってきた。「いいの?」と、こっちの財布を心配してくれるアユミを抑えて、「任せろや」とばかりに、エビちゃんバーガーをセットで奢ってあげる。
「今日3キロも走ってさ。朝からずっと筋肉痛だよ」
ふくらはぎが、ジンジンと鈍い痛みを発していた。テーブルにつくなり、無礼を承知の上、足を前のイスに投げ出して、ひたすらほぐす。
アユミはポン!と、私の足を軽く叩いて、
「3キロぐらいで何言うかな。あたしなんか部活で毎日5キロ走ってるよ」
コロコロと笑った。
「あ、昨日のテレビの一発芸人!」
こないだカラオケで歌った、西野カナ。
駅前にオープンしたファミレスの割引券、あげる!
付き合い始めた5組の早坂さんと河野くん、「オレと松潤とどっちが大事なの?」との一件で、さっそくケンカ中……私は、あえて選択授業の話題を避け、思いつく限りの楽しい話をまくし立てた。
昼のランチ話の延長で選択授業の色々がうっかり顔を覗かせ、慌てて新婚ホヤホヤの英語の先生の話題に飛ばした。不自然な話題展開に、アユミだって気付かないはずが無い。
「そんなに気を遣わなくていいよ」
日向さんも渡部さんも居るから、とっくに知ってるよね?と、アユミは沈みがちにポツポツと語った。
予習も宿題もちゃんとやってきた。解答を前から順に当てられて、自分が当たりそうな問題を見直していたら、フェイント……前の子が答えられなかった問題がそのまま振りかかってきて、パニックしてしまった。
「どんなに普段ちゃんとやってても、当てられた時に答えらんなきゃ意味が無いんだよ」
アユミは最悪の授業を思い出しながら、今にも泣きそうに見えた。
「先生には、自分はやる気の無い生徒だと決められちゃったかもしれない」
岩崎先生は、予想以上のプレッシャーをアユミに与えたようだ。アユミはエビちゃんバーガーを手に持ったまま、まだ一口も食べていない。
「……あの塾、お兄ちゃんも大変そうだったな」
「それでも辞めないで頑張ったから、お兄さん大学受かったんだよ」
「ただの負けず嫌いだよ。ちくしょー、とか、よく言ってたし」
そして、私が美味しい夜食を作ってあげたからだ!そう訴えた所で、やっとアユミの笑顔を見る事が出来た。
アユミに、持ってきたキャラメルを渡した。アユミは1粒、口に放り込むと、
「ん?中に種が入ってる」
「あ、それアーモンド。丸ごと入れてみました。どう?」
「な~んか……ヘンだよ」
私も口に運んだ。アユミの言う通り、丸ごとアーモンドとキャラメルは食感が噛み合わない感じがある。
アーモンドが、まるで石のようにその頑固さを強調して、食べにくい。アーモンドのコクのある香ばしさも殆ど感じられない。
「やっぱ刻んどけばよかった。ちょっと失敗かも」
アユミと顔を見合わせて、一緒にガリガリ、一緒に笑った。

〝食べること〟
それは一瞬でも、怒りや悲しみを忘れて没頭できるものだ。例え、どんなに誰かを憎んでいたとしても、24時間も続きはしない。味わうその瞬間は、スッ飛ぶ。〝食べればいい〟1番身近で、簡単だ。それが美味しいものであるなら、言うことない。今回のアーモンドは、ちょっと失敗。肝心な時に失敗をやらかしてしまったなんて……アユミと、おんなじだ。
こっちもカミングアウトとばかり、初めての授業で岩崎先生に言われた最低のセクハラ言葉を、アユミに話して聞かせた。アユミは先刻承知とばかりに、
「波多野さんが言ってたよ。それ、塾ではよく言ってるんだって」
聞けば、岩崎先生は塾において、数学におけるノートの無意味な使い方を、散々突いているという。塾に入ったばかりの子は皆ノートに没頭してしまう。そのたびに岩崎先生から同じようなセクハラ言葉を言われ、「まーた言われちゃってるよー」とばかりに、いつも周りは笑い飛ばしているらしい。そんな取るに足らない事だと……そんな余裕に追いつけない自分を呪いたくなってくる。
「来年あたりさ、メグみたいに、また他の誰かが言われてるよ」
アユミの慰めに少し気をよくしたものの、すぐに不安が広がって来た。
「岩崎先生って、来年も居るのかな。奥井先生はもう戻って来ないのかな」
アユミは首を傾げた。
……今は、吹き飛ばそう。
2人共、大口あけて、美味しいエビちゃんバーガーにカブりつく。