思い出の空

 帰宅したのは八時になる少し前だった。母さんと父さんは先に夕食を食べ終えていた。父さんは自分の部屋で読書でもしているのだろう。母さんはリビングでバラエティ番組を見ながら家計簿をつけているようだった。

 俺は家計簿をつける母さんの横で夕食を摂る。今日は餃子やチンジャオロースなど、中華っぽいおかずが多めだ。

「母さん」

 ご飯を食べながら、話しかけてみる。最近自分から話しかけたことがほとんどないので、少し変な気分だ。

「どうしたの?」

「俺、大学卒業したら、家出ようと思うんだ」

「うん」

 母さんは家計簿をつける手を止め、椅子を少しずらし俺の方を向いた。

「陽子と、一緒に住みたいなって思ってる」

「うん」

「いい?」

「もちろん、良いに決まってるじゃない」

 母さんは笑顔で答えた。その答えは、聞く前からなんとなく想像出来ていた。母さんは、俺が自分で決めることは、いつでも応援してくれる人だから。

「ただ、ちょっと気が早いかな」

「まあ、確かに」

「まずは勉強。陽子ちゃんにばかり気を取られて、肝心の大学受験失敗するなんてことになったら、格好つかないんだから」

「うん」

「陽子ちゃんがしっかりしてるから、あまりそこのことは心配してないけどね。中学の頃と比べたら、家でも勉強するようになったしね。頑張ってるんだもの、きっとこのまま上手くいくわ」

「うん、そうだと良い」

「そうだと良い、じゃなくて、そうするの」

「うん」

「お母さん、応援してるから。何かあったら相談してもいいんだからね」

「うん、分かってる」

 ありがとう、と心の中でつぶやく。本当は言葉で伝えたいけど、親に面と向かってお礼を言うのは、なんとなく恥ずかしい。昔は何も考えずに言えたのに、もう何年ありがとうと言っていないだろう。

「空は、自慢の子だわ」

 立ち上がって、俺の頭をくしゃくしゃとなでる。そんなことをされたのは本当に久しぶりで、恥ずかしくなって俺はその手を軽く払った。

 いつか、親の苦労が分かるくらいに大人になった時には、ちゃんとお礼が言えるだろうか。

 そんなことを思いながら、俺は冷め始めている餃子を口に入れた。