「はぁ」
ほのかな光が灯る、地下の飲み屋さん。
ゆったりとしたジャズの音楽が心地よく耳に響く。
あんまり人はいない。だけど、そこがまたいいのよね。
今日も、カウンター席に一人、か。
あーあ。子供の頃は、仕事終わりに一人で飲んでるなんて思わなかったなぁ。
「彼氏がいて、デートして、それで…………」
ぶつぶつ呟きながらカウンターに顔を突っ伏した。
わかってる。こんなんだから彼氏ができないことぐらい。
「お客様」
「は、はい!」
マスターに声をかけられ勢いよく顔をあげる。
差し出されたのは、オレンジ色のお酒。
でもわたし、頼んでないんだけど?
その疑問が目に見えたのか、マスターが答えた。
「あちらのお客様からです」
ちらっと、横を見る。
その人はフワッと笑って会釈をした。
私もつられて会釈をする。
あー、そういえば、あの人もここのところ毎日来てたなぁ。
でも、なんだろ?なんか、見たことあるような……?気のせいか?
「折角なので頂きます」
小さく声に出してから、お酒を口にいれる。
甘く酸っぱい柑橘系の香りが広がった。
「うわぁ。おいしい」
「恐れ入ります」
飲んだこと無い味。
これは新しい発見だわ!
次来たときは、またこれを頼もうかしら。
「おとなり、いいですか?」
「へ?」
さっきの、お酒くれた人だ。
髪も崩れてて、服も着崩してて……というか、スーツだから仕事帰りか。
ネクタイも緩めてるから、なんか、エロいな。
「あのー?」
「あ、どうぞどうぞ!」
「よかった。失礼するね」
また優しく笑って、彼が笑いかけた。
いい笑顔。好青年じゃないの。
「さっきはお酒ありがとうございます」
「いえいえ。それより、美味しかったですか?」
「ええもちろん!気に入りました」
「それはよかった」
「お酒にお詳しいんですか?」
「いや、そこまでじゃ」
「でも、お酒強そうですね」
隣に着た彼の顔をじっと見つめる。
私より前に来ていたが、表情ひとつ変えていない。よっている様子はないし……すごいなぁこの人。
「あ、あの」
彼が、目をそらして、やっと顔を赤くした。
「そんなに見られると、恥ずかしいんですけど」
「え?あ、ごめんなさい。全然よってないみたいだったから、つい」
あーだめだ。
私完全に酔ってる。
髪をかきあげて、その腕をカウンターにつく。
彼が、クスッと笑った。
「あなたは面白い人だ」
「なんですか~それ~」
「あーあー酔ってますね?強すぎましたか?」
「あー、きにしらいでください。わたしがよわいだけらろで」
「気にしないでください、弱いだけなので、ですね?ろれつ回ってないですよ」
あー、ダメだ、世界が歪む。
瞼が重い。
「あぁ!ちょっ……」
「スースー」

覚えているのは、誰かに抱き抱えられながら店を出たこと。
住所は?と聞かれたが、答えられずそのまま夢の中。
何度も起こされた気がしたがまるで覚えていない。
まあ、よくあることなので、仕方がない。


仕方がない、とはいったが!
「これは……どういうこと?」
そこはどこかのホテル。
私は、すっぽんぽんのまま、布団に入っている。
隣には誰もいない。
だが、シャワーの音が聞こえる。
窓から差し込む光を見るからに……朝だ。
あー、あったまいたい。
「えぇっと、落ち着け落ち着け。確か昨日、お酒をのんでて、途中で……」
「途中で寝てしまったから、私がつれてきてやったのだろう?」
「!!」
シャワー室からスーツ姿で出てきた男の人。
髪を七三にわけ、眼鏡をかけて、ネクタイを首もとまできっちりと閉めている。
「ぶ、部長!!」
私は、シーツにくるまった。
まったまったまったまったまった。
え、何で部長?
いつどこで部長にあった?
部長といっても、1つ上で、入社が私よりごねん早かっただけなのだが。
「なんだ、覚えていないのか?」
「す、すみません……私なんてことを……」
「あー、それは……オホン合意の上だから気にするな」
「合意の上?」
部長は明さまに嫌そうな顔をした。
それは、私に対する嫌気さ、というより、自分を攻めているようだった。
「昨日、私の恋人になってくれといったはずだ」
「は?」
「君は同意したぞ?喜んでといっていた」
「は?てか私、いつ部長とあったんですか?」
「ん?そのときは起きていただろう。カウンター席で私が酒をやったじゃないか」
……え。
えええええええええ!
あ、あの人が部長だったの?
全然雰囲気違かったし、今みたいにきちっきちのまじめじゃなかったし、無愛想でもなかったのに!
「え、ちょっとまだ理解が……」
そう言うと、部長が呆れ顔で私に近づく。
数秒みつめあうと、その顔が私に近づいた。
え。
数分してから、その顔が遠ざかる。
私、今。
「思い出したか?まあ、思い出さずとも、お前はすでに私のものだがな」
「な!だって昨日の人と部長が同一人物だったなんて信じられない」
部長は不思議そうに首をかしげた。
「私は、プライベートと仕事をはっきり分ける主義なんだ」
「それにしたってあの変わりようは……」
でも確かに、どっちの部長も、かっこいいけども!
それは認めるけども!
恋愛経験の無い私に、行きなり部長はレベルが高いって言うか!
いや、まずほんとに部長の彼女になれるのかどうか。
まず、この人本気なの?
あーもう!二日酔いで頭いたいし。
そんな頭で考えられるはずもないし!
「おまえな」
「な、なんですか?」
悪い笑みを浮かべて、部長が私を見下す。
それは、仕事の顔でもあり、部長曰く、プライベートの顔と言われる顔でもあった。
「俺のこと嫌いなの?付き合いたくないの?」
「!!」
さっきまで俺様だったのに、行きなり下から聞いてきたりとか。
ずるい、ずるすぎます!
でも、でも昨日の今日だし、自分の気持ちなんて!
「わかんないわよ!」
私は、そう叫ぶので精一杯だった。
私が部長に対する私自身の特別な気持ちに気がつくのは、もう少し、先のお話。

『わかんないわよ』