「怖い思いさせて、悪かった。俺の行動だけじゃなくて、多分言葉でも嫌な思いさせたと思う」


「山下さん…」


山下さんに謝罪を求める前に自分から謝ってきた春兄。春兄は、そういう人だ。


ここに来る前まであった不安の塊が少しずつ溶けて消えて無くなっていくような気がした。


「でも、好きな気持ちは変えられない。卑怯な真似だけはしないって約束する。あんたにも、竹内にも」


力強いその言葉に目を背ける事ができなかった。諦めては…くれないんだ。


強すぎるその思いにこの先どうなって行くのか少し怖かった。


「好きになるなとは言わない。でも、俺も譲るつもりは一切ないから」


「春兄…」


山下さんに負けない言葉の力強さに、改めて春兄の10年分の思いを感じる。


「藍も、フラフラするなよ?」


真面目な顔でそんなことを言われ、やっぱり自分の意志の弱さが引き起こしてしまったことなんだと痛感する。


「し、しないよ!私は…春兄だけだもん」


語尾が小さくなる。こんなこと、ファミレスでしかも山下さんの前で言うセリフじゃない。


「…まぁこの先のことはわかんねえけどな」


「この先も藍は俺の彼女」


目の前で繰り広げられるやり取りに思った事がある。


私はいつも優しく笑う穏やかな春兄しか見てこなかった。だから、こうしてバチバチした雰囲気にもなるのだと初めて思った。



私の知らない春兄の顔って、他にもまだまだたくさんあるのかな。




「…じゃあ俺帰るから。もう用も済んだし。じゃあな」


ぶっきらぼうな言い方で同時に席を立つ。迷わず出入り口の方に向かって行く山下さんの姿を目で追った。


「…藍」


春兄に呼ばれ、視線を前に戻す。


「ん?」


春兄は一度目を外してから再び私の目をしっかり捉えた。


「俺、山下のことは警戒していたけど、まさかそこまでやって来るとは思わなかった。ずっと大事にしてきた藍を他の男に簡単に触られて、痕までつけられて、パニックになってた」


言葉を選びながら喋っているのがわかる。多分、山下さんにされたことで傷ついた私のことを考えてくれているのだろう。


「だから本当にあの時は余裕がなくて、藍に怖い思いさせた。挙げ句の果てには追い出した」


「春兄…」


「しばらく時間を置いて、木下に仲介に入ってもらって何とか山下と顔を合わせる事ができた。山下の連絡先は知らなかったからさ、今回は木下に助けられたよ」


そうだったんだ。じゃあ、あの時山下さんは春兄が動き出したのを知っていたから私にあんなことを言ったのかな?