雨が降っていた。家の庭にある薔薇が雨粒を弾いて煌めいていた。じめじめした空気が喉に心地良い。紅茶を飲んでいれば妹と弟が降りてくる。「おはよう。今日は起きるの遅いな。」「どうだっていいじゃん」今、妹は反抗期なのだ。しょうがない。「さて、行くかな…」「行くの?行ってらっしゃい。」「ああ…お前達も忘れ物無いようにな。」「うん」家には母親と父親がいない。だから、俺が父親と母親の代わりをしている。外に出れば風に煽られ、髪が撥ねる。通学路を歩いていると声をかけられる。「よっ!神海。」髪は既に寝癖のように撥ねている。黒髪で右目は隠れている。目の色は金色だ。どっかの誰かさんに似ているが、そんなことどうでもいい。大切なのはこいつをどう、巻くかだ。「なぁなぁ、今日さお前の家行っていい?」来るんじゃない。お前が来ると面倒くさいんだ。「来るな」丁度、金髪の長い髪が見えた。「飛鳥、来たぞ。」「じゃあな!」飛鳥、スマン。今日はなんとなくモヤモヤする日だ。明日から文化祭と言うのに。今日は早く帰って、服の細かいところを直さなければ。「はぁ…」溜め息は雨の音にかき消されて消えていった。

「神海。おはよう。」最初に声を掛けてきたのは飛鳥だった。「…おはよう」ちらと見て、そのまま。彼はずっとにこにこしているが、何もしない。「顔が五月蝿い」そう言うと彼は「五月蝿くないよ」と言う。俺よりうざったい。黒い手袋を着けて、頬杖をつく。外は雨が降っていて、なんとなく憂鬱な気分にしてくれる。紫陽花が見たいな。「天下の飛鳥じゃん…どーうも。」海魅が来た。彼はこちらを見た。繋がりは余り無い。錬金科と演錬する時に少し話すぐらいで。話してても案外いい奴で面白かった。飛鳥と何かを張り合っているようで。‘‘天下の○○じゃん’’とか苛つく言い方をする。「あはは…。有難う。」彼は笑顔で大人な対応をした。腹の中はぐるぐるとどす黒い何かが駆け巡っているんだろう。面倒臭い。はぁ、と溜め息をつく。「うるさいぞ。黙れ。飛鳥は帰れ」「そんなこと言って…そばにいて欲しいんじゃないの?」耳の近くで言われる。びくっと震える肩。「…っやめろ!」強く拒むとバチッと火花が散る。驚いて飛鳥は飛び退く。無論こちらも拒絶で魔力が反応するとは思わなくて驚いていた。こんなのなかったのに。ポタポタっと音がした。手を見ると血が出ていた。手袋から滲んで。黒い手袋がもっと黒くなる。「ご、めん」あちらは手が痺れているようだ。「大丈夫…だ。」「保健室行こう。神海君。」ぐいと腕を引っ張られて無理矢理立たされる。「あ…ああ…」

「はい。終わったよ。」包帯が巻かれている手を見る。「…くそ…」ぐしゃりと髪をかき上げる。目を閉じると目の裏に、手に、耳にこびりついた姿、感触、声がまざまざと思い出される。「…っ…あ、」海魅が不思議そうにこちらを覗いている。「大丈夫?」「…っ…ひぅ…あ、ひゅぅっ…ひっ…」「あっ…ぁぁ…か、いみ、たすけ、ひぅ、ひゅぅ、」手を伸ばす。「神海、大丈夫か?!」「ほら、落ち着け…そう…吸って、吐いて、そう…」背中をさすってくれている。「あ、かいみ、」手を握って、彼の胸に頭をこすりつける。「…うん…うん…神海…頑張れ…」段々と落ち着いてきて、眠くなった。「海魅…落ち着いた…眠い…寝たい…んん、海魅…」

神海は自分にもたれかかって寝た。手を繋いだまま。なんだこの据え膳。本当ならば食っているのだが、今は我慢だ。だが、この過呼吸は見逃せない。包帯を見ただけで彼は過呼吸になった。どういう事だ。しょうがない。ベッドに彼を置くため、身体を持ちあげた。軽い。ベッドに横にする。苦しそうなので、ネクタイを外し、第一ボタンと第二ボタンを開けた。鎖骨の下になにか茶色くなっている所があった。不思議に思い、全部のボタンを外す。肌は白い。だが、茶色い痕がある。あちらこちらに。痣の痕だろうか。内出血が酷いとこうなる時もある。一つ気になった。これは誰にやられたのか。自分の独占欲は強い。自他共に認める傲慢さ。髪をかきあげて、彼の身体を見る。「…赦さない…」ギリと歯軋りする。誰であろうが自分の好きな人を傷付けるやつは赦さない。彼が赦そうが、自分は赦さない。全てのボタンを閉めた。「…可愛い神海…俺の物。」ちゅと首筋に食いついて赤い痕を残し、保健室を後にする。
「…みさん!」「神海さん!」目を開けると歩がいた。「良かった…朝、ずっとここにいたんですね…先生凄い心配してましたよ。」「歩。」「はい!」呼ぶと彼は良い返事をする。「海魅は」「錬金室いますけど…多分…」よっこいせとベッドから降りる。「待って下さい!まだ、ここにいて下さい。過呼吸になったって聞きました。身体、大事にしてください!だから、寝てて下さい!」むくれっ面になる歩は可愛くてしょうがないが、海魅に礼などを言わなければいけない。「ダメです!!!」「ダメなんです!!!」ぐいぐいと押されてそのまま、ぽすんとベッドに横になった。「…しょうがないか…」「もう!そうですよ!」「僕、そろそろ行きますから!寝てて下さいね!」剣幕に圧されてベッドにずっと横になる。海魅に見られただろうか。あの、傷。痕。ケロイド。身体はガッタガタになってきている。今、食べ物は殆ど食べていない。食べたとしても吐いてしまう。後から昔のが来るとは思わなかった。助けて欲しい。トラウマを無くしたい。恋愛が怖くなったのもこの所為だ。ケロイドは一番見て欲しくない。酷くて、醜くて、嫌いになる程に気持ち悪い物なのだ。これじゃぁ、海魅に恋をしているみたいじゃないか。でも、ケロイドを見られたら泣くだろう。一人称が‘‘僕’’になるくらい。醜くて嫌いだ。恋なんて。愛なんて。「神海。いるよね」今、考えていた張本人が来て驚いた。「吃驚した…」「ごめん。驚かしたなら。」何の用でここに来たんだろう。「何の用だ」「あ〜…いや、別に、どうという事はなくてね。」「ただ、足がこっちに向いちゃったんだ。」「君の顔を見れたならいいよ」出ていこうとする海魅を止める。「なぁ、背中、見たか?」「シャツのボタン外したの第一ボタンと第二ボタンだけだから。大丈夫。見てないよ。」バタンと扉が閉まった。

文化祭当日は人が多い。色んな所から来た人でまみれる。見学に来る奴もいる。美男美女が揃うこの学校に冷やかしに来る奴もいる。そわそわしっぱなしの歩に声をかける。「歩。」「ひゃぃ!」間の抜けた声が聞こえた。くすりと笑う。「そんなにガッチガチになんなくていいんだぞ。」「…はい!」顔を輝かせる歩。

歩と神海が笑い合いながら話しているのを恨めしそうに横目で見る。「話しかければいいのに。海魅君、神海君と話してる時って嬉しそうだよね。なんか、顔に出てる。」「ニヤニヤしてるって言えよ、汐。」余計なお世話だ。だが依、てめぇは駄目だ。「うるさいなぁ…。」汐と依は笑っていた。「ほらほらぁ…行きなよ」ぐいぐいと神海の前に押される。「…?どうした。」「あ、いや、別に、依と汐が押して来たから…」「そんなヤワな奴じゃないだろ?お前。」うん…!知ってるけど…!彼の表情を見ると悲しそうに笑っていた。「なんで、そんな悲しそうな顔してるの?」「は?」唖然とした表情になる。ころころ表情が変わる神海が好きだ。次に口籠るのは神海の方だった。「別に、そんな顔してない…」「なにか、引っ掛かる事があった?ねぇ、なにか、あったら、俺らに相談して。自分だけで抱えないで。」必死だった。必死で彼の肩を掴んだ。「あ…ああ…ありがとう…?」なんだか、彼がいなくなってしまう気がして怖いんだ。彼は、小首を傾げながら奥へ引っ込んでいった。「…っ…おい…待てよ、」切羽詰まった声が聞こえた。「あれ…って…まさか、」驚愕の声も。「「森だ」」ここの辺の人だろうか。神海と同じ学校に通っていた奴らが声を揃えて言った。「高柳もいるぞ…おいおい…冗談じゃない。」彼らは顔を青くしてそう言っている。「やぁ、君達。元気にしてたかい?」一人の髪の長い女の子が言った。「してねぇよ」一人が言った。「してるわけ無いじゃない。」もう一人も言った。「そうか…ちょっと残念だなぁ…」頬をかく女の子。「…神海は?」「居ない」「あは。まっさかぁ…いるんでしょ?出してよ」「嫌だ。居たとしても出す訳がない。」瞳が進み出た。何時も馬鹿みたいに目を輝かせているこいつの目は今は鋭く鈍く光っていた。「…神海、出して」後ろにいた髪の短い女の子が言った。「お前が元凶なんだよ。森。なぁ、わかってんだろ?だったらこいつ、止めろよ。なぁ。」そろそろ瞳はキレそうだ。神海を出してどうするんだろうか。もしかして、あの過呼吸とあの痕は…。考えれば考える程しっくりときてしまって。瞳の怒りもわかる気がする。「帰れ」ズラッと西洋科の奴らが瞳の横に並ぶ。その他の奴らは西洋科の後ろに行き、神海がいる奥の方を見ている。依と汐と歩で話しているのだろうか。「そんなに駄目なの?」「ああ…ここで暴動は起こしたくない。」「だから、帰れ」錬金科の奴らは銃を彼女らに向ける。中は水銀弾だ。撃てば中で溶けて色んなところに運ばれ、水銀中毒になり死に至る。暴動寸前なのだが。「銃向けるなんて酷いことするねぇ…。」「酷いことじゃない。」「お前がやったことが酷いことだ。この位序の口だろ?」「…まぁいいや。帰ろ。森。」「うん…」彼女達は手を繋いで出ていった。瞳達は緊張を解いた。瞳は椅子に座り、皆を見回した。「皆に聞いてほしい事がある。」そこから、昔の事を話し始めた。

結構前の話なんだけどな。まぁ、知らない奴らにも知っていてほしい。わかってる奴もいると思う。神海は過呼吸持ちだ。先天性じゃなくて、後天性の。なんでそうなったかは「森」が関係している。あいつはな、「森」の事が好きだった。んで、まあ色々悩んだ挙句告白した。こいつはフッた。まぁ、そこは別に良いんだけどな。これで終われば良かった。これで終わればこんな事も無かった。「森」の側にいる「高柳」が干渉してきたんだ。「高柳」は「森」が大好きだ。過保護なんだよ。それに嫉妬した「高柳」はあいつに攻撃した。まぁ、色々な。言いたくないから言わねぇけど。そんなこんなで過呼吸持ちになった訳だ。

「そんな…」歩は驚愕した。ふっと奥の方を見ると依と話して、笑っている神海が見えた。あの女の子は神海の笑った顔なんて見たことないんだろうな。「まぁ、そのおかげもあるんだろうな。ここまで上り詰めたのは。」校内放送が流れた。これから文化祭が始まると言う放送だった。「さぁて…やりますかね」瞳は椅子から立って、奥の方に行った。