私は、庭の木によじ登る。

とまったセミを踏みつぶさないようにしないながら、木と木の間に足をかける。

私も、結構たくましくなったな…。なんて思う。


二階の窓の前まで登るとやっぱり、レトロな雰囲気でまとめられた清潔感のある部屋にひろとはあぐらをかいて座っていた。




やっぱりいた…。


そして、ひろとは一心に、憂いを帯びたような、瞳で一点を見つめる。

視線の先には、黒のゆるーいボブの髪が揺れていた。白く小さな顔。、
知的さを感じさせる大きな目を覆うような縁のない大きな丸メガネごしに鍵盤を見つめている。白いブラウスに黒の綺麗な柄のスカート、ブラウスから伸びる細い腕と指先から聞き惚れるような音があふれだす。

黒と白の鍵盤と揺れる黒髪と白く美しい指先が独特の雰囲気を醸し出していて、ドキドキする。



その少女は、

乙川 志穂 (おとかわ しほ)。
中学3年生。私とひろとの一個上で今年受験を控えている。

優しくて、大人しい。私達にみたいに木登りなんてしない。いつも、遠くから微笑んで見守ってる感じだ。1個上というだけなのに大人っぽくて品がある。
それに、私と一緒で昔は都市に住んでいて小さい頃に引っ越してきた。両親が音楽家で今はおばあちゃんとふたり暮らしだ。

そして、ひろとは志穂ちゃんにだけ特別な表情を見せる。
小さい頃からそうだ。志穂ちゃんのピアノを聞いている時のひろとはどんな顔をしている時よりも魅力的な顔をするんだ…。
 

「ひろと、見っーけ!」

私は音を遮るようにして叫んでいた。

急に、ピアノの音がとまる。

「チーちゃんも、来たのね!二人は本当に仲良しね」

志穂ちゃんが、こっちを見てニッコリ微笑む。

志穂ちゃんは、私の事を『チーちゃん』って呼ぶ、ひろとのことは『ヒーくん』だ。なんだか、ちょっと恥ずかしい。

私は、靴を脱いで窓から部屋に入る。

「だって、ひろとってば、かくれんぼ始めるといつもここなんだもん!」

「うるせーな。俺は、志穂の勉強の応援にきてんだよ!」

「邪魔しに来てるの間違いやろ!」

「いいのよ!二人とも、ちょうど息抜きにピアノしてたし…。
二人が来てくれると嬉しいから!」

微笑む志穂ちゃんは、ほんとに大人っぽい。


「それより、ヒーくん、裕也さんは?」

少し赤らめた顔で、遠慮がちに志穂ちゃんが聞いた。

岩瀬 裕也 (いわせ ゆうや)。
ひろとのお兄ちゃん。高校2年生の…。誰が見てもかっこよくって、それはそれは頭もよくって、誰にでも優しくって、大人っぽくって、穏やかで完璧超人って感じた。私の本当のお兄ちゃんみたいな存在。「ゆうにーちゃん」って呼んでるし…。

この辺に住んでる人の期待の星って感じた。

そして、志穂さんの好きな人…。

志穂さんは、ゆうにーちゃんと同じ学校に行くために猛勉強している。



ひろとが、少し陰りのある表情に変わる。

「兄ちゃんは、高校の夏休み短いからさ、もう、帰ったよ。」