「…いや、良いさ。丁度暇だったしな」
「お暇、でしたか」
「…あぁ。竹中は、今日もまた終電迄残業か」
「えぇ、中々締まらないので…ははっ」
荒沢さんに言われた「今日もまた終電迄残業か」と言う言葉に違和感を感じた。何故知っているのだろうか?菊池先輩や同僚しか知らない筈なのだが、何故?まさか、あいつまた残業代手当を貰う気だろ!…とか何とか思われているのだろうか…!?等々とマイナスな悪い思考が脳内を巡って自己嫌悪に陥る私。嗚呼、なんて悲しきことかな。
「…ずっと、見ている、だな…」
ん?今誰の発言であろうか?と疑問に思った私はちらりと横目で見遣ると荒沢さんと目が合う。しまった…!荒沢さんからすると、何だこいつは?と思われただろうか?
「ふはっ…!何だ竹中、私に何か貰おうと思ったのか?」
「ゴホッ!?ケホッ!い、いやいやいや全く!そんな事は思ってないですよ荒沢さん…!」
「へぇ?ほぉう?」
「そんな、疑いの眼差しで見られましても…」
「ふっ…冗談だ」
私はその言葉を聞いて、ほっと安堵した。変に疑われたりしてしまったら、立ち直れないであろう私は。
「…そこぉ、いちゃついてないでくださいよ」
給湯室から出てきた菊池先輩は、マグカップと菓子を持ってきたらしい。
「…菊池先輩。貴男って人は…」
ハァッと私が溜め息を吐いてじろりと菊池先輩を見ると、菊池先輩は慌てだす。
「いや、違うからね。竹中が思っている様な事じゃないからな!これは、お前用だよ」
「…どういう風の吹き回しでしょうか」
「お前の中の俺はどんななんだ」
「え、言っても宜しいのですか?」
「…やっぱ言うな」
「ふはっ…!冗談ですよ。お茶とお菓子を有難く頂きますね」
「おう。有難く頂け」
「…楽しくしてるのは良いが、菊池。お前、私に頼まれた事はやったのか?」
ピシィッと効果音が付く程、その言葉を聞いた瞬間菊池先輩は固まった、冷や汗は物凄いですが。最早滝の様。
「先輩、固まってませんか?汗が凄いですね、暑いのでしょうか?」
「…い、いやぁ?そ、そんな事無いよ?あははは」
「是非とも、さっさと、やりましょうね菊池先輩?」

後に、菊池先輩はこう語った。
「荒沢さんと竹中は、鬼だった」


そんな事があった数日後、菊池先輩はまるで人格なのか性格なのかは解せぬが変わっていった。仕事をテキパキと効率良くする様になっている。何が菊池先輩をそうさせたのかは不明だが、だらだらしない様になったのは良い事である。前迄は菓子類を口に入れながら仕事をしていたのだから、こうなって私は正解であると思う。
「…竹中、お前大丈夫か?」
「何故でしょう?」
「眼が、死んでる魚の様な眼なんだけど。え?気付いてないの?」
「…ははっ、仕事が終わったらたぁっぷりと眼と体を休ませるので大丈夫ですよ」
「…はあぁ、お前はガンコちゃんみたいに頑固だからなぁ」
「今時そんな寒い駄洒落は不要ですよ。そもそも皆さんはあまり知らないかと。あの訳の解らないピンク色怪物は」
「毒舌だなぁ、竹中は」
「あら嫌ですわ、褒め言葉として受け取っておきます」
「…ま、まぁ、適度に休めよ?」
「そこは突っ込む所ですよ、菊池先輩」
「敢えて突っ込まねぇよ俺は。…じゃあな、戸締まりはしっかりして帰ろよ?」
「…承知しました。お疲れ様です」
菊池先輩は、ささっと走って帰っていった。しかし、周りを見渡すと誰も居ない。いやぁ、誰も居ないとなると何だかワクワクする私は痛いな。良い歳をしているのにも関わらず。
「…さぁて、さっさと終わらせて我が家に帰りましょう」
私はパソコンの液晶画面を睨みつけながら、キーボードを自己最高の速さで打って資料を作り終えた。その資料をコピー機で印刷し、全員のデスク上に置いたのを確認してから私は自席に着いた。
「やっと一仕事を終えた私に、自宅に帰ってご褒美をやらねば…!あぁ、終電が来る!」
デスク上をキチッと整理してから、私は戸締まりを確認しながら帰った。
のだが、まさか荒沢さんがその浮かれた私を見たらしいが、それは又別のお話。