とにかく千尋に会いたかった。
今すぐ千尋に会って、謝りたい。許してもらえなくてもいい。
この気持ちだけは伝えたい。
千尋、おれはお前が好きなんだ。
大学からそう離れていないこの部屋へ着くまでの時間が異様に長く感じた。
「千尋、おれだ…話がしたいんだ。開けてくれないか」
部屋の呼び鈴を鳴らすが応答はない。
代わりに声をかけた瞬間ばたばたと慌てた足音が聞こえた。
「お願いだ、千尋…。謝りたい。何時間でもここで待ってる」
扉1枚向こうには千尋がいるのに、この距離がもどかしくて仕方ない。
これはおれが作った千尋の心の壁だ。
「千尋…」
ガチャ、とドアがわずかに開いた。
唇を引き結んだ千尋の顔。
それだけでどこか安心してしまう。
「やめてよ、周りの人に変に見られるじゃん…」
「入っていいか」
千尋の部屋に入るのに了解を得るなんて初めてだ。
無言で頷いて千尋は部屋へ戻った。
「…体調悪いのか」
休みの日でも朝身支度をする千尋が寝間着のままということはまだ起きて間もないということだ。
「昨日少し熱あって、でも今日はもう大丈夫。念のため休んだだけ」
「そっか…」
ワンルームの小さなテーブルに千尋が飲みものを2つ運んでくる。
「さんきゅ」
「うん…」
千尋と一緒にいてこんなに気まずい空気になるのは初めてだ。
改めて千尋の信頼を崩してしまったことを認識する。
「…無理やりあんなことして悪かった。千尋を傷つけたかったわけじゃない」
湯気の立つカップに両手を添えた千尋の手がわずかに動く。
「あいつに、佐藤に会いたくてこっちに来たって聞いた瞬間、我慢できなかった。千尋」
名前を呼ばれて顔を上げた千尋と目が合う。
「千尋が好きだ。ずっと好きだった」
「…っ」
ただでさえ大きな瞳をさらに大きくして千尋はおれを見た。
そして涙を浮かべたかと思うとうつむいて表情を隠してしまう。
「嘘だ…っ」
「嘘じゃねえよ」
「嘘だよ!だって私見たんだから…金曜日、女の人と有ちゃんが部屋に入っていくの…っ」
そこまで言うと千尋は泣き出してしまう。
あの時感じた気配は千尋だったのか。
「千尋、あれは」
「やだもう聞きたくないっ」
「千尋…」
耳を塞いで縮こまる千尋は震えていた。
とっさに体を乗り出して抱きしめる。
「やだ…っ離して!」
「聞いてくれ千尋、あの時部屋には入れたけど、何もなかったんだ」
「そんなの信じない!私、昔見たことあるんだよ…有ちゃんの部屋で、女の子と有ちゃんがキスしてるとこ。いつも有ちゃんは色んな女の子にそういうことしてるって知ってるんだから!」
己の女癖の悪さに今更ながら後悔する。
今なら分かる。不特定多数の女と寝てたのも、全部千尋の代わりでしかなかった。
自分の気持ちと千尋に向き合えなかった弱さを女で昇華させていた。
まさしく自業自得だ。
「バカだった。千尋と向き合うのが怖くて逃げてただけだった。先週も、あの女の何もかもが千尋と違うって思ったら触るのも嫌になって…結局殴られた」
「…殴られたの?」
「ああ。だから千尋に殴られた分と合わせて唇が両端切れた」
まだ治りきっていない下唇を少し突き出して見せると千尋は初めて泣き笑いみたいに笑った。
「ふふ、有ちゃんバカだよ…」
「そうだな、分かってるよ大バカだって」
「大バカな有ちゃんには、私がついてないとだめだね」
「…頼む」
腕の中で笑う千尋の体の振動が抱きしめる腕に伝わってくる。
愛しすぎるその存在をもう一度ぎゅっと抱きしめ直そうとしたとき、千尋が顔を上げておれの顔を覗き込む。
「…まだ許したって言ってないんだけど」
「…どうしたら許してくれるんだ」
「んー…」
千尋は考える振りで視線をさ迷わせてからポスンとおれの胸に顔を埋めた。
「…無理やりじゃなくて、優しいのがいい」
耳に届くぎりぎりの声で千尋は呟いた。
これはやばい。なんだこの可愛すぎる生き物。
「…危ない」
「え?」
リクエストは優しく。
おれは顔を上げた千尋の右頬に手を添えて、緊張で硬直した真っ赤な左頬にキスをした。
「もう、…っ」
肩すかしを食らったような千尋の身体から力が抜けたのを見計らって今度は唇を合わせた。
優しく触れるだけの甘いキス。
一瞬肩の跳ねた千尋は、すぐにおれに委ねるように力を抜いた。
ゆっくりと背中に回された手から何とも言えない幸福な熱を感じる。
どうやら「幼なじみ」から「恋人」への昇格は許されたようだ。
信頼を取り戻すためにも、これからは嫌というほど甘やかしてやる。
そう誓って、今はただ愛しい千尋の唇と小さな身体の温もりを気のすむまで堪能することした。
-fin-
今すぐ千尋に会って、謝りたい。許してもらえなくてもいい。
この気持ちだけは伝えたい。
千尋、おれはお前が好きなんだ。
大学からそう離れていないこの部屋へ着くまでの時間が異様に長く感じた。
「千尋、おれだ…話がしたいんだ。開けてくれないか」
部屋の呼び鈴を鳴らすが応答はない。
代わりに声をかけた瞬間ばたばたと慌てた足音が聞こえた。
「お願いだ、千尋…。謝りたい。何時間でもここで待ってる」
扉1枚向こうには千尋がいるのに、この距離がもどかしくて仕方ない。
これはおれが作った千尋の心の壁だ。
「千尋…」
ガチャ、とドアがわずかに開いた。
唇を引き結んだ千尋の顔。
それだけでどこか安心してしまう。
「やめてよ、周りの人に変に見られるじゃん…」
「入っていいか」
千尋の部屋に入るのに了解を得るなんて初めてだ。
無言で頷いて千尋は部屋へ戻った。
「…体調悪いのか」
休みの日でも朝身支度をする千尋が寝間着のままということはまだ起きて間もないということだ。
「昨日少し熱あって、でも今日はもう大丈夫。念のため休んだだけ」
「そっか…」
ワンルームの小さなテーブルに千尋が飲みものを2つ運んでくる。
「さんきゅ」
「うん…」
千尋と一緒にいてこんなに気まずい空気になるのは初めてだ。
改めて千尋の信頼を崩してしまったことを認識する。
「…無理やりあんなことして悪かった。千尋を傷つけたかったわけじゃない」
湯気の立つカップに両手を添えた千尋の手がわずかに動く。
「あいつに、佐藤に会いたくてこっちに来たって聞いた瞬間、我慢できなかった。千尋」
名前を呼ばれて顔を上げた千尋と目が合う。
「千尋が好きだ。ずっと好きだった」
「…っ」
ただでさえ大きな瞳をさらに大きくして千尋はおれを見た。
そして涙を浮かべたかと思うとうつむいて表情を隠してしまう。
「嘘だ…っ」
「嘘じゃねえよ」
「嘘だよ!だって私見たんだから…金曜日、女の人と有ちゃんが部屋に入っていくの…っ」
そこまで言うと千尋は泣き出してしまう。
あの時感じた気配は千尋だったのか。
「千尋、あれは」
「やだもう聞きたくないっ」
「千尋…」
耳を塞いで縮こまる千尋は震えていた。
とっさに体を乗り出して抱きしめる。
「やだ…っ離して!」
「聞いてくれ千尋、あの時部屋には入れたけど、何もなかったんだ」
「そんなの信じない!私、昔見たことあるんだよ…有ちゃんの部屋で、女の子と有ちゃんがキスしてるとこ。いつも有ちゃんは色んな女の子にそういうことしてるって知ってるんだから!」
己の女癖の悪さに今更ながら後悔する。
今なら分かる。不特定多数の女と寝てたのも、全部千尋の代わりでしかなかった。
自分の気持ちと千尋に向き合えなかった弱さを女で昇華させていた。
まさしく自業自得だ。
「バカだった。千尋と向き合うのが怖くて逃げてただけだった。先週も、あの女の何もかもが千尋と違うって思ったら触るのも嫌になって…結局殴られた」
「…殴られたの?」
「ああ。だから千尋に殴られた分と合わせて唇が両端切れた」
まだ治りきっていない下唇を少し突き出して見せると千尋は初めて泣き笑いみたいに笑った。
「ふふ、有ちゃんバカだよ…」
「そうだな、分かってるよ大バカだって」
「大バカな有ちゃんには、私がついてないとだめだね」
「…頼む」
腕の中で笑う千尋の体の振動が抱きしめる腕に伝わってくる。
愛しすぎるその存在をもう一度ぎゅっと抱きしめ直そうとしたとき、千尋が顔を上げておれの顔を覗き込む。
「…まだ許したって言ってないんだけど」
「…どうしたら許してくれるんだ」
「んー…」
千尋は考える振りで視線をさ迷わせてからポスンとおれの胸に顔を埋めた。
「…無理やりじゃなくて、優しいのがいい」
耳に届くぎりぎりの声で千尋は呟いた。
これはやばい。なんだこの可愛すぎる生き物。
「…危ない」
「え?」
リクエストは優しく。
おれは顔を上げた千尋の右頬に手を添えて、緊張で硬直した真っ赤な左頬にキスをした。
「もう、…っ」
肩すかしを食らったような千尋の身体から力が抜けたのを見計らって今度は唇を合わせた。
優しく触れるだけの甘いキス。
一瞬肩の跳ねた千尋は、すぐにおれに委ねるように力を抜いた。
ゆっくりと背中に回された手から何とも言えない幸福な熱を感じる。
どうやら「幼なじみ」から「恋人」への昇格は許されたようだ。
信頼を取り戻すためにも、これからは嫌というほど甘やかしてやる。
そう誓って、今はただ愛しい千尋の唇と小さな身体の温もりを気のすむまで堪能することした。
-fin-

