「……どのくらい前まで、【神はいた】のかしら」

エレノアは静かに尋ねる。二人は神殿を眺めたまま、言葉だけを交わしていた。

「この神殿が最後に使われたのは、何十年か前らしい。古くから住んでいる梟(ふくろう)がそう言っていた。魔物が棲むと恐れられ、人が足を踏み入れなくなったのはもう少し最近のことだ。ここ十年くらい、だな」

「……そうなのね」

忘れ去られた神殿に、彼女は言いようのない寂寥感を覚えた。ここに人がいた形跡がこんなにも残っているのに、きっともう町の人間がこの場所に訪れる機会は二度とないのであろうことに。

「俺達が住んでいる屋敷は、元々はこの森を所有していた貴族の別荘だったらしい。魔物が棲むと信じられるようになって、彼らはこの土地を捨てた。そのまま残されたあの場所を、拝借させてもらっている」

魔物の言葉は、それまで彼女が疑問に感じていたことを解決してくれた。通りで服や装飾品が高価そうなわけだと彼女は納得した。

「……他に知りたいことはあるか?」

魔物が神殿から視線を外し、彼女に問いかけた。彼女は静かに首を横に振る。彼のした説明に納得していたし、この神殿に関して疑問は残っていなかった。

「なら、帰るか」

彼はそれを見て、声の調子を少しだけ軽くしてそう言った。

「……ええ、そうね」

エレノアは彼を見上げて頷いた。

帰るか、という短い言葉がやけに嬉しく感じられて、そう言われたのが初めてだからだと気付く。誰かと暮らすことも、誰かと帰るということも、彼女には初めての経験だったから。

その言葉は、彼女を受け入れてくれているのだと、居場所があるのだと伝えてくれているようで──だからこそ、嬉しかったのだと思う。

彼女は傍らの男の横顔をこっそりと見つめた。彼は人ならざるもので、自分は死ぬつもりで来た生贄で、いつ死んでも構わないという想いは今でも変わっていない。それでも、ここでこの人と過ごす時間が続いても良いかもだなんて、そんなことを思った。

「……何だ?」

視線に気付いたのだろうか、魔物がきょとんとこちらを見下ろしてくる。彼女は誤魔化すようにそっぽを向いて、数歩先を歩いた。

「何でもないわ」

おどけたようにそう言って、彼女は歩みを続ける。けれど脚の長さでは勝る魔物がすぐに追いついて、二人は揃って、神殿だった場所を後にした。