いくら本当に生贄だからとはいえ、連呼されるのは快くはない。彼女にはちゃんと、エレノアという名前があるのだから。

「エ?……じゃあ、ヨメ?」

けれどカラスはいまいち意味が分かっていないようで、首を捻っている。彼女はちょっとだけ笑って、それからカラスをまっすぐ見上げて口を開いた。

「エレノア、よ。エレノア。私の名前」

「えれ……?」

今更だけど、ここへ来て初めて名乗ったなと彼女は思う。はじめから色々なことが起こりすぎて、自己紹介などの踏むべき順序をすっ飛ばしてしまっていたのだと。

「えー、ぬあ?」

カラスは上手く発音できないようで、片言の音を嘴をぱくぱくとさせながら出している。それでは違う名前になってしまうと、彼女はもう一度繰り返した。

「エレノア。エ、レ、ノ、ア」

「えるなー」

「離れてるわよ。そんなに難しい発音かしら?」

他の言葉は比較的流暢に喋っているくせにとつっこむのだけど、カラスはやはり上手く発音出来ないようで、えーなー、えれぬーなどと珍妙な発音を繰り返している。

「えれぬあ?」

「……うん、もうそれでいいわ。いつか言えるようになるわよ」

段々諦めてきてそう言うと、決して褒めたわけでは無いのにカラスは嬉しそうに「えーのあ!」と叫んだ。またちょっと違うけど、大体あってるからもうこれで良い。

「あなたは……ええっと、ビルド、だったかしら」

魔物が呼んでいた名前を思い出してそう訊ねると、カラスは大きく頷いた。

「そう!ビルド!」

「ビルドね。えっと、あとあの人……えっと、かしらは?」

カラスの名前を確かめてから、ふと今いない残りの一人の名前を聞いてみる。まさか、かしらという名前ではないだろうけど、一度も名前で呼ばれているところを聴いたことがない。

「かしらはね……えっと……らー……す」

「ら……す?」

エレノアの発音を練習した時と同じ、もごもごしたような声に彼女は首を傾げる。ビルドは魔物の名前を教えてくれているのだろうけれど、よく聞き取れなかった。

「らー、るす?」

「……ラルス?」

「うーん、ちょっとちがう」

精一杯カラスの発音を真似てみているのだが、やはり違うらしい。何度やっても、カラスは首を傾げながら「違う」と繰り返していた。