黒き魔物にくちづけを


放っておくことは、出来そうに無かった。何か悪い夢を見ているのなら、せめて叩き起してあげようと思ったのだ。

翼が扉の前を通り過ぎたのを見計らって、彼女は床を蹴る。そして、部屋の中、その最奥部にある目的地へと駆けた。

予想通りというか、翼は見境なく暴れ続け、彼女の進行を阻む。それでも臆することなく、多少当たっても足を止めることなく、なんとかしてベッドの傍らにまで辿りついた。

「……くっ、ぅ……!」

──そして、彼女は目を見張った。何故なら、月明かりに照らされた魔物の寝顔は、予想の何倍も、苦しげで辛そうだったから。

翼を生やしているのだからあの獣のような姿で眠っているのかと思っていたのだが、予想に反して彼は人の姿をしていた。──否、背中だけが、獣の姿になっている、と言うべきだろうか。

横向きで眠り──いや、眠っているのだろうか、それほど苦しげに歪められた顔も、軋むほどにベッドの縁を握りしめた腕も、間違いなく人の姿をしていた。けれど、翼の生え際を中心に背中は黒い毛で覆われていて、例えるなら姿を変える途中の一瞬を切り取ったような姿で、彼は横たわっていた。

「ねえ、大丈夫?!起きて!」

あまりに苦悶に満ちた表情に、つい我を忘れて呆然としてしまったのもつかの間、彼女は大声で彼に呼びかける。思い切って肩にも触れて、強い力で揺さぶった。

身に纏うマントとなるべき翼がこうなっている今、無防備に晒された肩はの感触は、確かに人肌のものであるのにところどころ滑らかな鱗のものが混ざっていて奇妙だった。それでも、気後れすることなくしっかりと触れて、揺する。彼が早く目を覚ますように、その苦悶から離れられるようにと思いながら。