黒き魔物にくちづけを


「…………」

「…………」

足の下をぐんぐんと流れていく景色や、髪を好き勝手にかき撫ぜていく風に、エレノアは改めて、自分が飛んでいることを実感する。

傍らには、先ほど引っ張った魔物。ローブの首の後ろあたりを掴まれた彼は、呆然とした表情を浮かべたまま、大人しくぶら下がっている。

(……飛んでいくのに、この人も巻き込んじゃったのね……)

上空に二人きり──いや、運んでいるカラスもいるのだが、逃げ場のない空間に二人顔を突き合わせていることを実感して、彼女はじわじわと自分が何をしたかを思い知る。

まさか、こうなるとは思っていなかった。飛んでいくのを延期させるために、この男と話を続けようと思っただけだった。それがまさか、カラスが主人もろとも掴んで飛び立ってしまうなんて。

「あ、あの……」

謝った方が、良いのだろうか。近い位置にある男の顔を見上げてどうしたものかと口ごもると、彼は小さく息を吐いた。

「……バカ鳥め」

自分に対する文句の言葉を覚悟していたのエレノアは、けれど出てきた言葉がそこまで棘の含んでいないカラスに対するものだったので、ひとまずほっとした。

それから男は、エレノアに視線を向ける。一瞬気まずそうな表情を浮かべたものの、諦めたように口を開いた。

「……無理に話を終わらせようとしたことは、謝る。話は、着いたら聞く」

その言葉を聞いた彼女は、ほんの少し驚く。まさか謝られるとは、思っていなかったから。

それから、謝ってもらったのだから自分もそうしなければという思いに駆られ、気まずいながらも言葉を探す。

「……私も、その、引っ張っちゃってごめんなさっ……」

──けれどその時、一際大きい風が吹いて、カラスが大きく羽ばたいた。縦に激しく揺れたせいで、言葉は途中でつかえ、舌を噛んでしまう。

「いっ……」

エレノアは思わず呻いた。思い切り噛んでしまった舌がヒリヒリと痛んだ。

「……あまり喋ると舌を噛むから、後で聞く……と、言うつもりだったんだが」

困ったような顔で男がそう言うのが聞こえて、思わずエレノアはじっとりとした目線を向けた。

「……もう遅いわ」

「……すまん」

何とも間抜けなやりとりをして、二人はまた、黙り込んだのだった。