黒き魔物にくちづけを


その命令を受けたカラスは、翼を器用にぴょこりとあげて、人のように了解の意を示す動作をする。

「わかったー」

やはりどこか間延びした声でそう言うと、カラスはぐぐぐ、と震えながら、変容を始めた。

「な……」

先ほど見たものと、真逆のことが起ころうとしていた。カラスの身体が、風船に空気を吹き込むかのごとく、膨張していくのだ。

大きくなる理由は一つしか思い当たらない。彼女を連れて、飛び立つため、だろう。

「ちょっと待って……!私、まだ帰るわけには」

「お前の知りたいことを、俺が答えることは出来ない。話は終わった。人間は人間のいるところへ帰れ」

エレノアは必死に叫ぶが、男は聞く耳をもたないといった様子で、すたすたと歩き出して館の奥へ行ってしまおうとする。

背後でばさり、と、大きな羽音が聞こえた。急いで振り向くと、膨張を 終えたあのカラスが、エレノアに向かって飛んでくるのが見えた。

……時間が無い。

「……あなたはもう話終えたつもりかもしれないけど!」

半ばやけくそになったエレノアは、男の背中にそう叫びながら、大きく足を踏み出す。

「私の話は、まだ終わっていないわ!」

羽音が、すぐ間近で聞こえる。エレノアはそれを無視して、男のローブを思い切り掴み、そのままぐいと引っ張った。

驚いたような銀色の瞳が、こちらを振り返った──その時。

羽音が近くなる。銀色が見開かれるのを見たその時、男とエレノアの二人もろとも、カラスの爪にかっさらわれた。

「な……!」

驚いたような声が、思いのほか近くから聞こえる。その声の主を窺うよりも先に、つま先が浮かび上がった。

バサバサ、と音が聞こえ、視界の端をはらはらといくつかの黒い羽根が舞っていく。──二人は、カラスの爪に掴まれて、空へと運ばれていた。