「……私が、ここに来たのは、生贄としての責務を果たすためだけではないの」
小さく息を吸いこんで、それから話し出す。緊張で、少しばかり声が震えた。
男は何も言葉を返さない。けれど、こちらの話に耳を傾けてくれているのが、気配でわかった。それに背中を押されて、彼女は話を続ける。
「……私、魔物を見たことがあるの。10年前のことなんだけど」
「……!」
男のものであろう息を呑む音が、背後から響いた。それと同時に、縄を引っ張られていた感触が消える。恐らくは、彼が手を止めたから。
「……私の故郷が焼け落ちた日にね、村中に広がる炎の周りに、魔物が現れたのを見たの。他のことは忘れてしまったから、それが私がもつ唯一の記憶よ。だから、あれはなんだったのか知りたくて、そのために、来たの」
エレノアは、彼の止まった手に気付きながらも、そのまま話を続ける。もしかしたら、興味をもってくれたんじゃないか、そんな淡い期待を抱きながら。
「だからそれさえ知れれば、……っ?」
それさえ知れれば、あとは殺すなり捨てるなりして構わない、と続けようとした。ところが急に、男は乱雑に彼女から離れる。
手首が緩んだから、縄を解き終わったのだとわかる。それにしてもあまりにも急な動きだ。それまでの、丁寧すぎるほどの手つきからは想像がつかない。
まだまとわりついたままの縄を外しつつ、どうしたのか問おうと自分より高い位置にある男の顔を見上げる。けれどそれより先に、男の低い声が響いた。
「──知る必要のないことだ」
それは、無情なまでに有無を言わさぬ響きを孕んでおり。
「え……?」
咄嗟に反応が遅れて、彼女は混乱した心のまま声をあげる。それから、どういう意味か、どうしてなのか、それを問うために息を吸い込もうとした。
けれど、男の行動はそれよりも早い。彼はそのまま、エレノアに一瞥すらよこさずに、カラスに向かって言ったのだ。
「ビルド。彼女を、森の入口まで返してこい」


