黒き魔物にくちづけを


(……びっくり、した、けど)

まだ固まったまま、エレノアは内心で考える。

(恐ろしい風貌よりは、きっとましよね)

どうして、人の姿をしているのか。そもそも、彼は何者なのか。──それは、今のエレノアには関係ないことだ。彼女にとっては、それよりも知りたいことがあるのだから。

だからまずは、話を聞いてもらわないと……。

「……こ、」

こんにちは。無難な挨拶から始めようと、からからに乾いた口内を叱咤して、喉の奥から音を捻り出した、その時だった。

「──イケニエ!イケニエ!うまそう!イケニエ!」

全てをかき消すかのように、男の肩に乗ったカラスが叫び──それによって、止まっていた時が動き出した。

男がはっとした表情を浮かべる。それから、エレノアから勢いよく目をそらし、傍らのカラスをじろりと睨んだ。

「おい、だから、人間はいらないと何度言ったら……」

「くうの?ニル?ヤク?サシミ?」

「食わない!迷い込んだ人間を拾ってくるなと前に言わなかったか?」

「くわないの?カザルの?」

「人の話を聞けこのアホ鳥……!」

──そして、エレノアそっちのけで言い合いを始めてしまったのだ。

「……ねえ」

一人と一匹の目には、彼女の姿はもうすっかり映っていない。忘れられては困ると、エレノアは声を上げる。

「ねえってば」

「わかった!アゲモノだ!」

「だから食わない!何も分かってないだろお前!」

強めに声をあげるも、噛み合わない言い争いの前には跳ね返されてしまい。

「…………ちょっと!少しは人の話を聞きなさいよ!」

いい加減我慢出来なくなったエレノアが叫ぶ。接客業で鍛え上げた腹筋から響いた通る声は、一人と一匹の言い合う声を吹き飛ばした。

ぎょっとしたように、銀と金、二組の瞳がこちらへ向く。エレノアは勢いに任せて、口を開いた。

「そのカラスがちゃんと説明してくれないから言うけど、私は別に迷い込んだわけじゃないわ。正真正銘、生贄としてここに来たのよ」

声の大きさを戻してそう告げると、男の瞳が驚いたように開かれる。