帰り道、入学式から1週間たった今日、
下り坂のところどころに植えられた
桜が散り始めた。
地面には散ってしまった桜の花の絨毯が
敷かれている。そこを自転車で通る。
なんだか申し訳なくなった。

「榎本くん」
優しい声が僕の耳をすっと通り抜けた。
車の騒音のなかに紛れて。
でも僕にはしっかり聞こえてきた。
舞子の声は僕の耳と相性がいいようだ。
僕は振り向いた。
「榎本くんもこっちなの?」
「うん、神社の近く。」
「そうなの?あたしも神社まで自転車で
10分くらい。」
舞子と僕の家は意外にも近かった。
「上岡さんも自転車?」
「雨じゃない日はね。」
少し微笑みながら舞子は言う。
「中学も隣だったんだね。」
僕はもう舞子と出会っていたかもしれない。
知らないうちに、すれ違っていたかもしれない。

「きょーちゃん!」
僕の耳に余計な声が通り抜けた。
こいつの声も何故か僕の耳と相性がいいようだ。
「彼女?」
「違うよ。」
僕は焦って言い逃れた。
本当なのに嘘をついているような気分だ。
涼平は僕の友人。小学校からの長い仲だ。
舞子は涼平に軽く頭を下げた。
「じゃ、またな!」
涼平は空気を読んだのか、
いつもなら長話に繋がりそうな雰囲気を
しっかりと潰した。
「きょーちゃん」
舞子が微笑んだ。
僕の目の前の世界が一瞬止まった。
「えっ」
「きょーちゃんって呼ばれてたんだね。」
僕に少し茶化したように話しかけた。
僕と舞子は自転車を進め、
ついに神社の近くまできた。
2つに分かれる道。
僕は、まるで言わされているかのように問う。
「どっち?」
「こっち!このままもうちょっと
坂をのぼったとこ。」
「じゃあここでお別れだね。」
「うん。ここも、桜、散っちゃったね。」
「うん。」
「またね、きょーちゃん!」
「ん、うん…!」
舞子は急いで自転車をこいで
坂をのぼっていった。
「またね、きょーちゃん!」
この一言が僕の頭から離れない。
この笑顔が僕の頭から離れない。
きっと、一生離れないんだろう。そう思った。
僕は幸せだった。
嫌なことを何もかもを忘れられた。
たとえ舞子がふざけて言ったとしても、
それでもその一言で僕は幸せだった。

僕は家に帰ってからも舞子の声が離れない。
何をしていても頭のなかをこだまする舞子の声。
何にも集中できなかった。
寝る前、何故か涙がこぼれた。
寂しい。
舞子がいない部屋が寂しい。
舞子がいなくなってしまったら、
僕はどうしたらいいんだろう。
そんな妄想を膨らませて、ふと現実に戻った。
「渉、怒ってるかな…。」
部活見学をせずに帰ってきてしまった。