「……ならない方がいい」
こうまで言われて凛子はようやっと、元の自分らしい自分なりの解答を声に出せた。
「永遠の命なんて、むなしいだけよ」
だって、愛した人から死に遅れて、激痛は伴うくせに死にづらくて、いつも孤独で、一人で。ほぼ永遠に、一人で。静かに、静かに老いていく。
そんなことを話したのち、 部屋のあちこちに飾られた花の絵と目が合って、凛子は再び顔をうつむけた。
「それは見送る側の心理だろうが」
レイが激しく抗弁する。
「お前には分からないよな。例えばここに花があるとするだろう。その花を綺麗だと思った次の瞬間には、もう息が止まって世界が暗色に染め変わっているかもしれないんだぜ。壊れたテレビみたいに、もうこの瞳も何も映らなくなって、それで死んでいくんだ。お前みたいに、好き放題花も見える、人と話せるのが羨ましいよ。ほら」
今だってお前と話している途中で心臓が止まるかもしれない。
そうまで言われると、凛子は息が詰まりそうになった。確かに自分は好き放題、彼の理論では、生きて、いるのかもしれない。花を見たらいつまでも綺麗だと思って見続けていられるし、誰かと話したくなったら命の終わりなど意識せずにいつまでも話していられる。
私は、幸せ者なのか?
凛子は初めて襲われる感覚にとまどった。命の終わりなど、自分で操作できると思っていた。終わりなど、絶対にあちらからは来ないと思っていた。だけど、違う。
終わりはある日突然、隣にいるものなのだ。
いつまでも黙している凛子に、半ばいらだちを隠しきれず、レイが口を切った。
「まあ、お前みたいに狼ぶって気ままに生きている奴には、生涯分からないかもしれねえな」
狼、ぶって?
凛子はそこで、自分の思いに気が付いた。違う。確かに、死のことを考えていない自分もいた。だけれど、違う。気ままになんて生きていない。自分は今まで、生きる上での責め苦を十分受けてきたつもりだ。孤独、寂寞としたこころ、両親の死――。それがこの人に、わかるのだろうか?
いや、この人は何も知らない。
「なあ、頼むよ、俺を吸血鬼に……」
「……知らないっ」
我ながら激したと思われる口調で、凛子は言いきって病室を出た。荒い足取り。自分でも誰に(怒っている)のか、それを明確に表したいのに分からなかった。ただ、苛立たしかった。
狼、ぶっている?
――違う。
私は狼なのだ。狼少女、吸血鬼、なのだ。
無性に、腹立たしくなって、泣きたくなった。それはあるいは自分に、かもしれないと思った。
◆
それから三日後。
もうあんな人、関わりたくない。凛子は本気でそう思っていた。
日田高に春の夕闇が迫る。放課後、清掃委員の仕事で教室の整理整頓を一人で行う。本当はあと四人も委員がいるのに、みな無言で帰ってしまって、今は凛子が一人でその仕事をこなしている。
(ほら、この孤独も、あなたには分からないでしょう)
と、凛子が彼を再びいらだちとともに考える。
けれど。
好きの反対は無関心とはよくいうものだ。自分は、彼のことを憎たらしいと考えずにはいられない。そう、それくらい考えているのだ。つまりは、少しは関心があると、してしまうのだろうか。
いけない!
人間に同情を寄せてはならない。そうしたら、父と同じ道をたどることになる。自分も灰になって、消え去ってしまう。全身に火の光を浴びて、あちこち乾いてひびわれて、その割れ目の中に巻きこまれて死んでいく。
(そんな怖いこと、絶対厭だ)
そう思っていた凛子であったが。
「凛子、さん」
先ほどから残っていた、いつもアニメの話で盛り上がっているオタクのグループが四、五人で、こちらに迫ってきた。何か手に持っている。何だろう、厭な予感がする。
――凛子の勘はよく当たる。彼女らはおさげを揺らして、こうべを垂れこんなことを言いだした。
「お願いっこれ、入院中の朝倉君に届けてほしいのっ」
朝倉――? ああ、レイのことか、とはすぐに理解出来たが、なぜに、自分が?
はてなマークで頭がいっぱいになる凛子へ、一番口数の多そうな少女がこうせがむ。
「今日駅前のアニメイトで好きなゲームが特売でねむご」
彼女が背後から友に口をふさがれる。
「ごめんね。今日どうしても私たち外せない用事があって。病院の面会時間に間に合わないの。だから私たちの代わりに、プリント係として届けてくれない」
「でも……」
「じゃ、お願いねっ」
そう言ってオタクたちは、笑いさざめきながら教室を出ていった。おそらくみんなして行くのだろう。特売のアニメイトへ。
(ぱしりにされた……)
しょんぼりしながら凛子は病院への道をたどった。なんだか寂しく、もの悲しかった。人間の浅ましさが厭になった。それに巻き込まれている自分も、やっぱり厭になった。
病院で手続して、204号室へと向かう。気まずい。来たくなんてなかったのに。もう会いたくないと、思っていたのに。神様のいたずらか、自分の至らなさ、のせいなのか。
204号室には誰の姿もなかった。
ただ白いカンバスが、乾いた筆と一緒に、置いてあった。
「わ……」
凛子は描かれた途中までの花を見つめた。それは実に鮮やかなタッチで描かれていた。繊細な筆遣い、美しい色彩、この絵はどこか清々しい。この花達は生きて、いる。見ていると心洗われていくようだ。
「あらん、凛子ちゃん。また、あれ?」
少し待っても来ないので、プリントだけを置き去りにする訳にもいかず、岡田の部屋に行った。岡田はまた一人で優雅に紅茶を飲んでいた。
「もう準備はあるけど」
「ううん、今日は違うの」
「あら、じゃあ彼に会いに?」
「もっと違いますっ」
凛子が思わず叫んでしまうと、岡田はまたおかしいと、声たてて笑った。
「レイ君はね、検査よ検査」
岡田にしては暗い声でそういうので、凛子も引きずられて打ち沈んだ声になる。
「あの人、やっぱりそんなに悪いの」
「……黙ってたら、夏を過ごすのも、ね……」
「そん、なに」
凛子はしおれた花のようになった。あれだけ生きていたいと切望する人が、容赦なく病におかされ、死んでしまう。それはどれだけの絶望だろう。
あの描かれた花たちの鮮やかさ、生命力――が、ふいに思い起こされる。
「だから、彼は吸血鬼になりたいんじゃない?」
「うん……」
その時、またナースが入ってきて、レイの検査が終わったことを岡田に知らせた。
「行っておやりなさい」
と岡田が促して、凛子もええ、と立ち上がった。
◆
こうまで言われて凛子はようやっと、元の自分らしい自分なりの解答を声に出せた。
「永遠の命なんて、むなしいだけよ」
だって、愛した人から死に遅れて、激痛は伴うくせに死にづらくて、いつも孤独で、一人で。ほぼ永遠に、一人で。静かに、静かに老いていく。
そんなことを話したのち、 部屋のあちこちに飾られた花の絵と目が合って、凛子は再び顔をうつむけた。
「それは見送る側の心理だろうが」
レイが激しく抗弁する。
「お前には分からないよな。例えばここに花があるとするだろう。その花を綺麗だと思った次の瞬間には、もう息が止まって世界が暗色に染め変わっているかもしれないんだぜ。壊れたテレビみたいに、もうこの瞳も何も映らなくなって、それで死んでいくんだ。お前みたいに、好き放題花も見える、人と話せるのが羨ましいよ。ほら」
今だってお前と話している途中で心臓が止まるかもしれない。
そうまで言われると、凛子は息が詰まりそうになった。確かに自分は好き放題、彼の理論では、生きて、いるのかもしれない。花を見たらいつまでも綺麗だと思って見続けていられるし、誰かと話したくなったら命の終わりなど意識せずにいつまでも話していられる。
私は、幸せ者なのか?
凛子は初めて襲われる感覚にとまどった。命の終わりなど、自分で操作できると思っていた。終わりなど、絶対にあちらからは来ないと思っていた。だけど、違う。
終わりはある日突然、隣にいるものなのだ。
いつまでも黙している凛子に、半ばいらだちを隠しきれず、レイが口を切った。
「まあ、お前みたいに狼ぶって気ままに生きている奴には、生涯分からないかもしれねえな」
狼、ぶって?
凛子はそこで、自分の思いに気が付いた。違う。確かに、死のことを考えていない自分もいた。だけれど、違う。気ままになんて生きていない。自分は今まで、生きる上での責め苦を十分受けてきたつもりだ。孤独、寂寞としたこころ、両親の死――。それがこの人に、わかるのだろうか?
いや、この人は何も知らない。
「なあ、頼むよ、俺を吸血鬼に……」
「……知らないっ」
我ながら激したと思われる口調で、凛子は言いきって病室を出た。荒い足取り。自分でも誰に(怒っている)のか、それを明確に表したいのに分からなかった。ただ、苛立たしかった。
狼、ぶっている?
――違う。
私は狼なのだ。狼少女、吸血鬼、なのだ。
無性に、腹立たしくなって、泣きたくなった。それはあるいは自分に、かもしれないと思った。
◆
それから三日後。
もうあんな人、関わりたくない。凛子は本気でそう思っていた。
日田高に春の夕闇が迫る。放課後、清掃委員の仕事で教室の整理整頓を一人で行う。本当はあと四人も委員がいるのに、みな無言で帰ってしまって、今は凛子が一人でその仕事をこなしている。
(ほら、この孤独も、あなたには分からないでしょう)
と、凛子が彼を再びいらだちとともに考える。
けれど。
好きの反対は無関心とはよくいうものだ。自分は、彼のことを憎たらしいと考えずにはいられない。そう、それくらい考えているのだ。つまりは、少しは関心があると、してしまうのだろうか。
いけない!
人間に同情を寄せてはならない。そうしたら、父と同じ道をたどることになる。自分も灰になって、消え去ってしまう。全身に火の光を浴びて、あちこち乾いてひびわれて、その割れ目の中に巻きこまれて死んでいく。
(そんな怖いこと、絶対厭だ)
そう思っていた凛子であったが。
「凛子、さん」
先ほどから残っていた、いつもアニメの話で盛り上がっているオタクのグループが四、五人で、こちらに迫ってきた。何か手に持っている。何だろう、厭な予感がする。
――凛子の勘はよく当たる。彼女らはおさげを揺らして、こうべを垂れこんなことを言いだした。
「お願いっこれ、入院中の朝倉君に届けてほしいのっ」
朝倉――? ああ、レイのことか、とはすぐに理解出来たが、なぜに、自分が?
はてなマークで頭がいっぱいになる凛子へ、一番口数の多そうな少女がこうせがむ。
「今日駅前のアニメイトで好きなゲームが特売でねむご」
彼女が背後から友に口をふさがれる。
「ごめんね。今日どうしても私たち外せない用事があって。病院の面会時間に間に合わないの。だから私たちの代わりに、プリント係として届けてくれない」
「でも……」
「じゃ、お願いねっ」
そう言ってオタクたちは、笑いさざめきながら教室を出ていった。おそらくみんなして行くのだろう。特売のアニメイトへ。
(ぱしりにされた……)
しょんぼりしながら凛子は病院への道をたどった。なんだか寂しく、もの悲しかった。人間の浅ましさが厭になった。それに巻き込まれている自分も、やっぱり厭になった。
病院で手続して、204号室へと向かう。気まずい。来たくなんてなかったのに。もう会いたくないと、思っていたのに。神様のいたずらか、自分の至らなさ、のせいなのか。
204号室には誰の姿もなかった。
ただ白いカンバスが、乾いた筆と一緒に、置いてあった。
「わ……」
凛子は描かれた途中までの花を見つめた。それは実に鮮やかなタッチで描かれていた。繊細な筆遣い、美しい色彩、この絵はどこか清々しい。この花達は生きて、いる。見ていると心洗われていくようだ。
「あらん、凛子ちゃん。また、あれ?」
少し待っても来ないので、プリントだけを置き去りにする訳にもいかず、岡田の部屋に行った。岡田はまた一人で優雅に紅茶を飲んでいた。
「もう準備はあるけど」
「ううん、今日は違うの」
「あら、じゃあ彼に会いに?」
「もっと違いますっ」
凛子が思わず叫んでしまうと、岡田はまたおかしいと、声たてて笑った。
「レイ君はね、検査よ検査」
岡田にしては暗い声でそういうので、凛子も引きずられて打ち沈んだ声になる。
「あの人、やっぱりそんなに悪いの」
「……黙ってたら、夏を過ごすのも、ね……」
「そん、なに」
凛子はしおれた花のようになった。あれだけ生きていたいと切望する人が、容赦なく病におかされ、死んでしまう。それはどれだけの絶望だろう。
あの描かれた花たちの鮮やかさ、生命力――が、ふいに思い起こされる。
「だから、彼は吸血鬼になりたいんじゃない?」
「うん……」
その時、またナースが入ってきて、レイの検査が終わったことを岡田に知らせた。
「行っておやりなさい」
と岡田が促して、凛子もええ、と立ち上がった。
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