凄腕救急医は離婚予定の契約妻を湧き立つ情熱愛で離さない

翌朝。美鶴は起きてすぐに玄関へ行き透の靴があるかを確かめた。
「……ない」
透は帰宅しなかったのだろう。もちろん寝室にも書斎にも姿はない。美鶴はひとり職場へと向かった。
本来なら今日は透も一緒に出勤するはずだった。朝食を取り、透の車で病院へと向かう途中の他愛のない会話が美鶴の楽しみの一つだった。
「透さん、今日はお休みするのかな」
 更衣室で着替えながら美鶴はひとり呟く。仕事が始まってしまえば気がまぎれるのだがふとした瞬間に冴木に懇願された離婚の二文字が頭をよぎる。
休憩時間になると美鶴は救急外来まで行き中を覗いた。医師と看護師が患者の処置に当たっている。その中に透の姿を見つけた。顔色がよくない。頬がこけてやつれているようにも見える。
「奥さん?」
 そう呼ばれて振り返ると藤島が手を振りながら歩いてくる。
「藤島先生。お疲れさまです」
「心配で様子見にきたんだね」
「え?」
「調子悪いなら帰れって言ったんだ。奥さんからも言ってやってよ。倒れちゃうよあいつ」
呼んでくるから、と藤島は透の元へ行き美鶴の方を指さした。透は藤島に対応中の患者を任せて持ち場を離れると美鶴のもとへ駆けてくる。
「美鶴。昨日はごめん。連絡もせずに……」
「そんなのいいんです。仕事が忙しいんですよね?分かってますから」
「ありがとう、分かってくれて。助かるよ……」
「いいえ。それより、透さん。大丈夫ですか?体調がすぐれないんじゃありませんか?」
 近くで見る透の顔は青白く、覇気がない。髭も剃っていないのだろう。こんな透を見たのは初めてだ。
「平気だよ」
「全然平気には見えないです」
「自分の体は自分がよく分かっている。俺は医者だ!」
透は語気を強めた。まるでこれ以上何もいうなと言わんばかりに。
「……申し訳ないが今日も帰れそうにないんだ。仕事が終わったら直接会社に戻らなくちゃならない」
「松田組から業務提携を解除されたからですよね?」
「美鶴? それを誰から聞いたんだ」
 透は驚いたように目を見開いた。
「冴木さんです。でも私は透さんの口からききたかった……どうして話してくれなかったんですか?」
「美鶴には関係のないことだ」
「関係ない? 私は透さんの妻なのに? そうやってひとりで抱え込んでしまうから透さんが辛い状況にあることもすぐに気づけなかった」
 なにも見せられず、知らされず、透に守られてきた自分がどうしようもないくらい情けなく思えた。
「私は私のやり方で透さんを救います。……いままでありがとうございました」
「美鶴?なにを言って――」
「志木先生、心停止です! 急いでください!!」
 患者の容体が急変し看護師が叫ぶ。美鶴は透に背を向け救急外来を出た。透に名前を呼ばれた気がしたが振り返らなかった。
美鶴は控室へ行きロッカーを開けた。震える手でスマホを手に取る。繋がらないで欲しいと心のどこかで願いながら電話を掛けた。